盗まれた街と絶滅の危機 [雑談]
先日のブログでは、“良心をもたない人々”、サイコパスの恐怖について書いたが、ちょっとウダウダと、余計な上に過剰なことを書いた気がする。
・人類を狙う、捕食者の正体
まぁ今更仕方ない。
それにしても、もしこの地球上で、人間にそっくりなんだけれど決して相容れない生物が紛れ込んでいたとしたら・・・我々はどうなるのだろうか?
よくSFの設定などである、宇宙人が地球人に入れ替わる・・・的なやつである。
まず思い出すのが、「盗まれた街 (ハヤカワ文庫SF フ 2-2)」である。
あらすじを引用しよう。
<アメリカ西海岸沿いの小都市サンタ・マイラで、奇妙な現象が蔓延しつつあった。夫が妻を妻でないといい、子が親を、友人が友人を偽物だと思いはじめる。はじめ心理学者は、時おり発生するマス・ヒステリー現象と考えていた。だがある日、開業医のマイルズは友人の家で奇怪な物体を見せられた。それは人間そっくりに変貌しつつある謎の生命体―宇宙からの侵略者の姿だったのだ!>
これは怖い。
この小説はSFの古典ともいえ、何度も映画化されている名作である!!
・・・とか言いながら、実は私、この作品を読んだことがない。少し前にこれを原作とした映画があり、興味を引かれてアマゾンでレビューを読んで初めて知った次第であり、しかしその後時間もなく読めず、今まで忘れてしまっていたのだ。
しかし、昨日のブログを書くに至り、ふと、思い出したのだ。
この小説の設定を。
ちなみに私が本書を知るきっかけとなった映画は、二コール・キッドマン主演の、「インベージョン 特別版 [DVD]」という作品である。何でも、原作4度目の映画化だそうだ。
この映画のあらすじを引用しよう。
<地球外からやってきた謎の生命体。それは眠っている間に人間の習性を変異させ、次々と魂のないレプリカントを生み出していく。ワシントンD.C.の精神科医キャロル・べネル(二コール・キッドマン)と同僚のベン・ドリスコル(ダニエル・クレイグ)は、原因をいち早く究明しウイルス拡大の阻止に乗り出す。生き残る術はただ一つ、決して眠らないこと。誰一人信用できない悪夢のような状況の中、二人はウイルスの侵攻を食い止めることができるのだろうか!?>
原作と映画と、内容が完全に一致するのかはわからない。
にしても、眠っている間に人間の修正を変異させるなんて、怖いじゃないか。
<次々と魂のないレプリカントを生み出していく>って、魂のないというのは、つまり、感情がないってことだろう?こんなのに囲まれてしまったら、そして、そちらのほうが多数になってしまったら、なんて恐ろしい世界なんだ。
自分が少数派になったとき、普通でないのは自分の方、ということになるのだろうか。異常なのは、異質なのは、自分―。
そう考えると恐ろしい。
昨日のブログでも書いたが、“良心をもたない人間が増えている”という状況は、文化的背景があるかもしれない。
・良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖
例えばだが、今でこそ父親は育児に参加し、イクメンだとか呼ばれる風潮も出てきたが、このイクメン世代の子どもに対する感情と、以前の感情は明らかに異なる。
・・・ように感じる。
我々の時代にある生活のゆとりがそうさせるのか、それとも感情や倫理観は発達もしくは変化するものなのかわからない。
あるいは、質的な変化なのか、量的な変化なのかもわからない。
が、確実に変化している。
・・・と思う。
子どもに対してだけでない。
ペットに対しての感情も同じではないか?
こういった“もの”は、文化的背景によって変わるのだろうか?
であれば、この先はどうなるのか!?
個人主義とコーポラティズムの行き過ぎが、次の新しい文化的背景を生み出し、それが我々の精神に影響を与える、ということが起こらないだろうか?
ジェネレーションギャップだなんて言えていた時代が懐かしい、なんて事になったら、恐ろしいね。
そういえば、人類はこれまで何度も“進化”してきた。
北京原人やネアンデルタール人はそれなりの文化的要素も持っていたが、人間とは異なる。アジア人と黒人、というような違いではない。もっと大きな開きがある。彼らと極めて近い距離で生活していた時代もあり、交配した可能性もあるという。
しかし、彼らは絶滅し、人類が残った。
もし仮に新たな進化があったとして、きっとその場合、どちらかの人類は滅びるだろう。いや、新化したほうは、人類とは異なるのかもしれない。
その進化のきっかけは、ウイルスなのか宇宙人なのか、気候変動なのか、自然発生的なのか、文化的影響なのかはわからないが、いつかは来るのだろう。
ああ、なんだか「盗まれた街」が気になってきた。本で読もうか、映画を借りようか。たいていの場合、原作に勝るものはないのだが、どうだろう?
・人類を狙う、捕食者の正体
まぁ今更仕方ない。
それにしても、もしこの地球上で、人間にそっくりなんだけれど決して相容れない生物が紛れ込んでいたとしたら・・・我々はどうなるのだろうか?
よくSFの設定などである、宇宙人が地球人に入れ替わる・・・的なやつである。
まず思い出すのが、「盗まれた街 (ハヤカワ文庫SF フ 2-2)」である。
あらすじを引用しよう。
<アメリカ西海岸沿いの小都市サンタ・マイラで、奇妙な現象が蔓延しつつあった。夫が妻を妻でないといい、子が親を、友人が友人を偽物だと思いはじめる。はじめ心理学者は、時おり発生するマス・ヒステリー現象と考えていた。だがある日、開業医のマイルズは友人の家で奇怪な物体を見せられた。それは人間そっくりに変貌しつつある謎の生命体―宇宙からの侵略者の姿だったのだ!>
これは怖い。
この小説はSFの古典ともいえ、何度も映画化されている名作である!!
・・・とか言いながら、実は私、この作品を読んだことがない。少し前にこれを原作とした映画があり、興味を引かれてアマゾンでレビューを読んで初めて知った次第であり、しかしその後時間もなく読めず、今まで忘れてしまっていたのだ。
しかし、昨日のブログを書くに至り、ふと、思い出したのだ。
この小説の設定を。
ちなみに私が本書を知るきっかけとなった映画は、二コール・キッドマン主演の、「インベージョン 特別版 [DVD]」という作品である。何でも、原作4度目の映画化だそうだ。
この映画のあらすじを引用しよう。
<地球外からやってきた謎の生命体。それは眠っている間に人間の習性を変異させ、次々と魂のないレプリカントを生み出していく。ワシントンD.C.の精神科医キャロル・べネル(二コール・キッドマン)と同僚のベン・ドリスコル(ダニエル・クレイグ)は、原因をいち早く究明しウイルス拡大の阻止に乗り出す。生き残る術はただ一つ、決して眠らないこと。誰一人信用できない悪夢のような状況の中、二人はウイルスの侵攻を食い止めることができるのだろうか!?>
原作と映画と、内容が完全に一致するのかはわからない。
にしても、眠っている間に人間の修正を変異させるなんて、怖いじゃないか。
<次々と魂のないレプリカントを生み出していく>って、魂のないというのは、つまり、感情がないってことだろう?こんなのに囲まれてしまったら、そして、そちらのほうが多数になってしまったら、なんて恐ろしい世界なんだ。
自分が少数派になったとき、普通でないのは自分の方、ということになるのだろうか。異常なのは、異質なのは、自分―。
そう考えると恐ろしい。
昨日のブログでも書いたが、“良心をもたない人間が増えている”という状況は、文化的背景があるかもしれない。
・良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖
例えばだが、今でこそ父親は育児に参加し、イクメンだとか呼ばれる風潮も出てきたが、このイクメン世代の子どもに対する感情と、以前の感情は明らかに異なる。
・・・ように感じる。
我々の時代にある生活のゆとりがそうさせるのか、それとも感情や倫理観は発達もしくは変化するものなのかわからない。
あるいは、質的な変化なのか、量的な変化なのかもわからない。
が、確実に変化している。
・・・と思う。
子どもに対してだけでない。
ペットに対しての感情も同じではないか?
こういった“もの”は、文化的背景によって変わるのだろうか?
であれば、この先はどうなるのか!?
個人主義とコーポラティズムの行き過ぎが、次の新しい文化的背景を生み出し、それが我々の精神に影響を与える、ということが起こらないだろうか?
ジェネレーションギャップだなんて言えていた時代が懐かしい、なんて事になったら、恐ろしいね。
そういえば、人類はこれまで何度も“進化”してきた。
北京原人やネアンデルタール人はそれなりの文化的要素も持っていたが、人間とは異なる。アジア人と黒人、というような違いではない。もっと大きな開きがある。彼らと極めて近い距離で生活していた時代もあり、交配した可能性もあるという。
しかし、彼らは絶滅し、人類が残った。
もし仮に新たな進化があったとして、きっとその場合、どちらかの人類は滅びるだろう。いや、新化したほうは、人類とは異なるのかもしれない。
その進化のきっかけは、ウイルスなのか宇宙人なのか、気候変動なのか、自然発生的なのか、文化的影響なのかはわからないが、いつかは来るのだろう。
ああ、なんだか「盗まれた街」が気になってきた。本で読もうか、映画を借りようか。たいていの場合、原作に勝るものはないのだが、どうだろう?
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