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アフガン首切り事件から考える、日本人とは何か!? [これから日本の話をしよう!]


アフガニスタン南部の村で、音楽をかけて宴会を開いていた村人ら17人が頭部を切断されて殺害されたという。17人のうち、2人は女性。女性は宴席で踊っていた可能性があるらしい。

アフガニスタンの一部部族には宴席で女性が踊る伝統があるのだという。
しかし、タリバンは1996~2001年の統治下で、音楽や宴会、そして婚姻相手や親族でない男女が同席することを禁止していた。

現在もこの地はタリバンの支配地域であり、上記の理由と併せて、犯行はタリバンによるものではないかと見られている。


先ほど、一部の部族には宴席で女性が踊る伝統があると書いた。
それを、別の部族や宗教を持つものによって矯正されてしまう。それによって首を切られてしまうのだとしたら、理不尽この上ない話だと思う。


ところで、「日本人とは何か」と聞かれたら、どう答えるだろう?もちろん、国籍の話ではない。


日本で生まれたら日本人か。


それとも、日本人から生まれたら、日本人か。


あるいは、ご飯と味噌汁を食して手先が器用で富士山を知っていれば日本人か。


山本七平さんの著書のなかで、「臨在感」という言葉を知った。
以前もこのブログで引用したことがある(と思う)が、臨在感とは、ある対象に特別な存在を感じることを言う。例えば、私たちは鳥居があれば神聖な何かを感じ、自らに抑制を強いる。あるいは親や恋人などの大切な人の写真があったとして、それを簡単に破ることはできない。それはただの紙とインクの集合体であり、その人そのものとは何の関係もないのに、だ。

この臨在感とは、民俗によって異なるらしい。当然といえば当然だと思うが、例えば本書で挙げられていた例でいうと、遺跡調査の際、日本人は骸骨の取り扱いに精神的な苦痛を感じていたが、イスラエル人は平気であったらしい。

人と人の集まりである民族が、風習、体験、習慣を共有し、1つの共通の感覚を持つに至る。それは民族としての1つの経験だ。

穢(ケガレ)なんかも、似たようなものかもしれない。

山本七平さんの、この本(↓)は内容が濃いのにページ数が薄く、非常に面白いのでおすすめしておく。

比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)

比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1976/06/07
  • メディア: 文庫



もし私たち日本人が、日本語を廃止され、名前を改名され、神社仏閣の代わりに別の宗教施設を建てられ、米の代わりに別の主食をあてられ、盆や彼岸、節句や正月などの行事を禁止される代わりに別の文化の祝い方を強制されたとしたら、日本人は自分の中の大部分の“日本的なもの”を失うことになる。

恐ろしいことに、上記のうちの一部は、日本人自ら捨てつつある。
例えば楽天やファーストリテイリング(ユニクロ)などの英語公用語化しているし、例の最悪な愚行を行っている泉佐野市は、自らの名前をお金で売ろうと目論んでいる。


ところで、そういう日本国内にも、似たようなことは勿論あったと思う。
朝廷に逆らう民族は辺境に追いやられる。
かつて、土蜘蛛や国巣(くず)と呼ばれた人々がいて、彼らは自分たちが住んでいた場所を追いやられ、資産を奪われていく。

例えば、常陸の風土記に次のような伝えがある。

<むかし、国巣と呼ばれるものがいて、山の佐伯、野の佐伯と名乗っていた。山や野に穴蔵を掘って住んでいた。人が来ると穴に隠れ、人が去るとまた野に出て遊んだ。あるとき、大臣の一族が、彼らが穴から出て遊んでいる時に、イバラを穴倉の中に敷いて、すぐに騎馬兵によって突然追い迫らせた。佐伯どもはいつものように穴倉に走り帰ったところ、皆、イバラに突き刺さって傷ついたり、病気になったりして死んでしまった。

これは茨城県の名前の由来にもなった伝承だけれども、何とも哀れな感じがする。

上の国巣や、蝦夷、江戸時代まで幕府と戦っていたアイヌの例をとるまでもなく、騙し討ちや卑怯な手でやられることも少なくなく、奪われた側の彼らは、やがて妖怪にされてしまう。

今いる私たちの先祖は、果たして後から来た朝廷側だったのか、あるいは土蜘蛛や国巣と呼ばれた側だったのか、何とも言えない。しかし、もし後者であったとして、私たちが嬉々として鬼は外などといって豆をあてようとしているのだとしたら、何か悲しい無念さを感じる。


ともかくも、失われてしまった文化、アイデンティティは取り戻しようがない。
冒頭のアフガニスタンの非道い仕打ちは、「支配されるいということは、こういうことか」と思わされる。しかし、文化的な支配は冒頭の強攻策とは別に、緩やかな方法もあり、例えば戦後の3S政策や、以前このブログでも紹介した「23分間の奇跡 (集英社文庫)」のような、ゆるやかな方策もある。

23分間の奇跡 (集英社文庫)

23分間の奇跡 (集英社文庫)

  • 作者: ジェームズ・クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07/20
  • メディア: 文庫


あるいは自ら文化を捨て去る(もしくは、弱める)人々もいて、日本国内においては外国人が増えつつある中、日本的なものは薄まりつつあるのが現状だ。

いつか、私たちは土蜘蛛や、国巣のように、消される側にならないようにしないといけない。むしろ、そういった消え去りそうな文化を守る側にありたいものである。
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