暴力の支配・・・メキシコの刑務所と通底する、日本人の負の下地 [これから日本の話をしよう!]
最近話題の書「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉」では、未来の世界では複数の高度なスキルを、連続して習得することが必要と説き、そのためにはよい人材の集まるギルド・コミュニティに属する必要があると指摘している。
冒頭の記事にあるメキシコの刑務所は、さしずめ、犯罪者のプロを目指すに最高のコミュニティと言えるだろう。
メキシコの治安の悪さは、絶望的な感じがする。無法地帯だ。
文化というのは積み重ねだと思っている。
例えば日本が、世界の東の果てから、歴史上まれにみるスピードで、急激に世界史の表舞台に立てたのは、それなりの蓄積があったためだと思う。中世のころから百姓は自力で様々な商売を行い、その経済活動の過程で、識字率や計算能力を高めていった、という指摘もある。
そういった素地が、明治以後や戦後の急成長にかかせない要素だったのではないかと思う。
良い文化も、悪い文化も、積み重ねだ。
日本は勤勉で能力が高く、モラルもあり、成長できる素地を積み重ねた。
しかしながら、戦中・終戦直後の状況について書かれた“ある本”を読むと、日本のこの安定さは、実はとても脆いのではないかと感じる。
地震でも暴動略奪が起きず、礼儀正しいと言われる日本。
しかし、私たちの持つ秩序は、ひどく脆い・・・かもしれない。
この本を読むとそう感じる。
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
- 作者: 山本 七平
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2004/03/10
- メディア: 新書
私たちは、一定の決め事の範囲においては、優秀に行動できる。
法律が順守されている環境や、周囲の目が光っている状況だ。
しかし、一旦それらが崩れ、まったくのフラットな状態になった瞬間、原始的な悪意や力が、私たちを掌握しようとし始める。
私たちの善意は、悪意に対し、「話せばわかる」と思うし、「正しいことをしていれば、いつか伝わり、理解してもらえる」と信じる。悪事は「水に流す」のが大人だし、その「心の広さは必ず伝わる」と考える。
私たちの善意は、そうしたお人好しの側面があり、それが見事に、しかも国家的に裏目に出たのが現在の周辺国との状況だと思うのだが、それはまた別の話としよう。私たちは外国人だけでなく、国内の人間に対してもそう“お人好し”に接する。そして、いったんルールが無用となり、まったくのフリーな状態になったとたん、悪意に支配されてしまう。
私たち日本人の大多数は、基本的に良い人たちだと思う。
そして、悪い人たちを、“周囲の目”と“空気・雰囲気”で、封じる不思議な能力を持っている。
これは、“良心を持たない人”あるいはサイコパスが、欧米と比べてずっと少ない理由として、こうした文化的側面があるのではないかと「良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖」でも指摘もされている。
しかし、悪意の人たちは、私たちの周りにもしっかりと存在しているのだ。
あの東日本大震災の最中でも、盗難・窃盗が相次いで起こっていたのは周知の事実だ。
“いじめ”という名の「学生の殺人・傷害」でも、裸にして撮影したり死骸を食わせたり暴行したりして、精神的にも肉体的にも死に追い詰めるし、それを守る立場の聖職者は責任回避と隠蔽に奔走するだけだ。
暴行事件で話題になった殺人の経歴のある人間がそれをキャラクターに芸能界デビューを目論むし、犯罪に手を染めてもお金になると思われれば華々しく芸能界で復帰できる。
どこかでは集団暴行襲撃事件で人が死に、また別のどこかでは暴力団に反対する住民が襲撃される。
経済的に成功した人間にはそれなりの品格とモラルと社会的規範になることが求められるが、そういった成功者でも生活保護費を掠め取ろうと目論む。
これら悪意のある人間というのは確かに存在していて、何かのバランスが崩れた時に表面化する。そして、日本人というのは、そういった悪を封じ込める不思議な力を持っているのだが、それは平時でしか機能しない。
いったんバランスが崩れれば、とたんに悪意が周囲を支配する。
「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」では、戦争に敗れるという秩序の崩壊した状態のなかで、捕虜という閉鎖的な空間にて、次第に規律が敗れ力が支配していく過程がえがかれている。
それはまさしく、冒頭の記事にあるメキシコの刑務所状態だ。
今は平穏な日本だが、そのような逆転が起こらないとも限らない。
何年後にか、かついての日本の平穏さを懐かしむ、そんな暗黒の時代にならないことを願う。
2012-10-05 18:43
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