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終末に似た世界・・・日本の大怨霊と革命の足音 [雑談]

マヤ暦に由来する終末論によると、今日が区切りの日となるらしい。
世界のあちこちで色々な話題が振りまかれている。

中国では邪教徒による扇動とされ、多くの捕縛者が出たようだ。
セルビアのある山では救いをもとめる人たちで溢れかえり、“滅亡特需”なる現象が起きている。
アメリカでは先日発生した小学校での銃乱射事件を受け、終末論にかこつけた類似事件を恐れて休校が相次いでいるという。気持ちはわかる。

では、日本ではどうか。

今回比較的おとなしめの反応にうつる日本。
では、日本人はこの手の話に鈍感なのかというと、そうでもないと思う。

過去を振り返ると、ノストラダムスやら末法思想やら、色々なことがあったと思うのだが、私が思い起こすのは幕末の出来事だ。

「日本国の大魔緑となり、皇を取つて民となし、民を皇となさん」

と呪詛して憤死したのは、日本の大怨霊、崇徳上皇だ。

「人の福を見ては転(うつ)して禍(わざわい)とし、世の治まるをみては乱を発(おこ)さしむ」

そう宣言していたのだから、世が騒がしくなり、人心が乱れれば、崇徳上皇の怨念が騒がれる。

慶応四年(1868)の8月26日。この日は崇徳上皇の命日にあたる。
勅使が崇徳上皇の御陵のまえで、明治天皇の宣命を読み上げ、條区の御遺影を神輿に奉じ、崇徳上皇の神霊は白峰神社に祀られた。

この時、官軍は戊辰戦争のさなかにあった。崇徳上皇の怨霊が、奥羽諸藩方へついてしまっては大問題だ。

実はこの少し前、文久元年、江戸幕府は神経を尖らせていた。
なぜかというと、この文久元年は辛酉(かのととり)で、辛酉革命を恐れたのだ。辛酉革命とは中国に由来し、辛酉は“天命が改まる年とされ、王朝が交代する革命の年”とされている。

さて、このあたりの事項を、年表にしてみよう。

1860年 桜田門外の変
1861年 辛酉にあたり、幕府、辛酉革命を恐れる。
1863年 崇徳上皇 七百回忌
1866年 孝明天皇、崩御
1867年 王政復古の大号令、ええじゃないか騒動
1868年 鳥羽伏見の戦い→江戸城、無血開城→崇徳天皇陵に勅使を遣わし、翌日、明治天皇即位の礼を行う→9/8明治に改元

この時ほど、世の中が不安に思えたときはないと思う。
そりゃそうだ。異国の影がちらつき、我らの権力側は内輪もめしているのだ。

グローバル化の進んだ今で言えば、宇宙人がUFOで地球を脅しに来て、度々血を見る小競り合いが起きている中、アメリカやら中国やらイスラムやらで互いに戦争が起こってしまったようなものだ。

その現状を見るに、やはり世界の終末だなんだと思いたくもなる。

幕末のあの時、権力側は易姓革命や怨霊を恐れ、庶民は踊り狂っていた。

まさに“世も末”な光景がそこにある。

このような“維新”の大混乱を見ると、昨今の政治団体である“維新”が小さく霞んでしまう・・・。
タグ:終末論
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