邪教・・・日本のケースを考える(人柱や生贄と、魔王を祀る神社について) [これから日本の話をしよう!]
世界には、まだまだ呪術の信仰が残っている。
世界各地で今だに魔女狩りだの儀式にちなんだ殺人などが起こっている。不幸で恐ろしいことだが、では日本ではどうか。
昨今の日本では、一部で除霊だの悪魔祓いだのという理由で、人が死にいたらされてしまう事件がある。
ただここで取り上げたいのは、そういったレアケースではなく、これまでの日本の歴史としてどうだったかということ。
日本でも色々なケースがあるのだが、ここでは私なりの視点で2つのことを紹介したい。
まず1つめ。
人柱、人身御供、生贄という信仰について。
明治か大正か忘れたが、皇居で多くの人柱が出てきて騒ぎになったことがある。
人柱というのは、まぁご存知だとは思うが、呪術的な意味合いを込めて人を埋める行為である。
多くは生きたまま埋めたり沈めたりされ、災害やら災禍をそらそうとする。
皇居から発見された人柱は江戸城築城のさいのものだと思われるが、
「伝説ではなく、本当にあったんだ・・・」
と衝撃的な事件だったと思う。
では、生贄、つまり人身御供はあったのか。
この考察については興味深い本がある。
これだ。
神、人を喰う―人身御供の民俗学
衝撃的なタイトルだが、中身はいたって真面目な民俗学の本で、トンデモ系の本を期待して読むと肩透かしをくらうことになる。
この本の面白さは、全国の様々な人身御供の神事を、冷静な目で丹念に分析している点である。
全国には動物を生贄とした、おどろおどろしい神事がある。
鹿の頭を切り取り、並べたもの。
うさぎを尻から月刺しにしたもの。
全国の、様々に残る伝承。
そこに、生贄に人は含まれるのか。
人は、神に喰われたのか。
結論は意外な方向へ向かうことになるが、ひと言でいうと恐らく人が神に食われることはなかった。しかし、人柱など、儀式や信仰に基づいて殺されることはあっただろう。
本書は途中で少し難しく感じるかもしれない。
しかし、後半に入ると、前半を振り返りつつ結論へと持っていくので、途中で投げ出さなければ最後までちゃんと読める本だ。
2ツ目は、第六天に関する信仰である。
これも相当変わった信仰である。
第六天とは、魔王だ。
織田信長が自称したことで有名だが、仏教の魔王中の魔王。
この第六天を祀った神社が、かつては武蔵国(今の東京や埼玉)を中心に、数百という数であったのだ。
日本の神様は恵みをもたらせてくれる良い面と、恐ろしく荒々しい面との両方を合わせ持つ。にしても、魔王を祭ってしまうというのも凄い話だ。
邪教と呼ばれる、後醍醐天皇が関わったとされる立川流のような宗教もある。しかし、第六天は関東地方限定とはいえ、広く信仰が広がっていた。
しかし実は、第六天神社について、詳しいことはほとんど分かっていないのである。関東に数百という数の神社があり、信仰されていたにも関わらず、いつの間にか消えてしまった。
明治期に神仏分離の影響で、祭神が変えられたり、社名を変えたりということが起きたことも、理由として大きいと思う。
現在では、いくつか第六天神社が存在するものの、ほとんどは小祠として僅かに形をとどめている程度である。
ともかく、謎の多い、しかしかなり広く信仰されていた第六天魔王。
我々の先祖は、魔王に一体何を願っていたのだろうか。
第六天については、ここでは書ききれない色々のことがある。改めて時間のあるときに言及したい。
世界各地で今だに魔女狩りだの儀式にちなんだ殺人などが起こっている。不幸で恐ろしいことだが、では日本ではどうか。
昨今の日本では、一部で除霊だの悪魔祓いだのという理由で、人が死にいたらされてしまう事件がある。
ただここで取り上げたいのは、そういったレアケースではなく、これまでの日本の歴史としてどうだったかということ。
日本でも色々なケースがあるのだが、ここでは私なりの視点で2つのことを紹介したい。
まず1つめ。
人柱、人身御供、生贄という信仰について。
明治か大正か忘れたが、皇居で多くの人柱が出てきて騒ぎになったことがある。
人柱というのは、まぁご存知だとは思うが、呪術的な意味合いを込めて人を埋める行為である。
多くは生きたまま埋めたり沈めたりされ、災害やら災禍をそらそうとする。
皇居から発見された人柱は江戸城築城のさいのものだと思われるが、
「伝説ではなく、本当にあったんだ・・・」
と衝撃的な事件だったと思う。
では、生贄、つまり人身御供はあったのか。
この考察については興味深い本がある。
これだ。
神、人を喰う―人身御供の民俗学
衝撃的なタイトルだが、中身はいたって真面目な民俗学の本で、トンデモ系の本を期待して読むと肩透かしをくらうことになる。
この本の面白さは、全国の様々な人身御供の神事を、冷静な目で丹念に分析している点である。
全国には動物を生贄とした、おどろおどろしい神事がある。
鹿の頭を切り取り、並べたもの。
うさぎを尻から月刺しにしたもの。
全国の、様々に残る伝承。
そこに、生贄に人は含まれるのか。
人は、神に喰われたのか。
結論は意外な方向へ向かうことになるが、ひと言でいうと恐らく人が神に食われることはなかった。しかし、人柱など、儀式や信仰に基づいて殺されることはあっただろう。
本書は途中で少し難しく感じるかもしれない。
しかし、後半に入ると、前半を振り返りつつ結論へと持っていくので、途中で投げ出さなければ最後までちゃんと読める本だ。
2ツ目は、第六天に関する信仰である。
これも相当変わった信仰である。
第六天とは、魔王だ。
織田信長が自称したことで有名だが、仏教の魔王中の魔王。
この第六天を祀った神社が、かつては武蔵国(今の東京や埼玉)を中心に、数百という数であったのだ。
日本の神様は恵みをもたらせてくれる良い面と、恐ろしく荒々しい面との両方を合わせ持つ。にしても、魔王を祭ってしまうというのも凄い話だ。
邪教と呼ばれる、後醍醐天皇が関わったとされる立川流のような宗教もある。しかし、第六天は関東地方限定とはいえ、広く信仰が広がっていた。
しかし実は、第六天神社について、詳しいことはほとんど分かっていないのである。関東に数百という数の神社があり、信仰されていたにも関わらず、いつの間にか消えてしまった。
明治期に神仏分離の影響で、祭神が変えられたり、社名を変えたりということが起きたことも、理由として大きいと思う。
現在では、いくつか第六天神社が存在するものの、ほとんどは小祠として僅かに形をとどめている程度である。
ともかく、謎の多い、しかしかなり広く信仰されていた第六天魔王。
我々の先祖は、魔王に一体何を願っていたのだろうか。
第六天については、ここでは書ききれない色々のことがある。改めて時間のあるときに言及したい。
2013-01-24 17:37
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コメント(1)
人は、人に喰われるの です かね。そういう悪しき風習等 犠牲になった人達は、大変多くいらっしゃると思われます。
そして、今でも、苦しんでいる。それを、裏で救いに動く神さんや人 生きている人&死んでいる人の存在も有ります。いまでも、解放は、していっているんです。
by Picasan (2014-09-16 08:24)