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我々の死後に対するあやふやな態度 [これから日本の話をしよう!]



何ともやるせない話だ。幽霊の実在云々は、この際は関係ない。人の心理として、そう思えてしまうのはわかるし、同時に悲しい。


「石巻に住むある女性は「幽霊の列」の噂を聞いたことがある。生きていた最後の瞬間の不毛な努力をなぞるかのように、幽霊たちは丘へ向かって殺到し、津波から何度も何度も逃げようとするのだという。」


亡くなった人たちの生への執着、助かりたかったという思いは、それはそのまま生き残った人たちの思いの裏返しだ。死なないでほしかった、助かってほしかった、怖かったろうに、と。


話は変わるが、日本人の死生観というか、或いは死後のイメージというか、そういったものには共通項があるように思える。日本人のほとんどが無宗教、という状況だけど(統計上のデータは別)、死後のイメージは我々に刷り込まれている。あやふやに。


神を信じるか、と問われれば、「もちろん!」と答えるのは少数派ではないかと思う。霊界はあると思うか、と問われれば「いや、そーゆーの信じないんで」と言うと思う。でも、何となくのイメージがある。


これは私のイメージだが、日本人と死者の世界は、近い、と思う。
(宗教としての)儒教なんかの世界観もそうだと聞いた覚えがあるが、例えば死んだら天国や地獄に行き、その死後の世界に固定されるのではなく、現世と行き来が自在である。


仏教が説くように、死んだ後、輪廻により別の生を生きるわけでもない。先祖なら子孫を見守る。後悔が残っていればその場所に縛られる。一定の条件があえば、現世と繋がる。



各宗教には、“今私たちが生きる日常から逸脱した世界=死後の世界”について語られるものが多い。


しかし日本人の多くは無宗教だ。
だから通常は死後の世界なんて気にしない。あまり問わない。我々の死後に対する態度は、とてもあやふやだ。


しかし、何となくの漠然とした死後のイメージは、私たちにしっかりと刷り込まれている。供養といったワードや、隣接する死後の世界のイメージを、私たちは無視できない。だから、自分の身に非現実的な、自分の日常を逸脱した出来事が降りかかったとき、“我々の死後に対するあやふやな態度”は利用されやすいと思う。


かくいう私も、無宗教だ。
しかし最近、歴史上のことを通じてというのがほとんどだが、宗教に関心を持っている。そこで感じることは、変な宗教に騙されないためにも、広く宗教一般について勉強したほうがいいのではないか、ということだ。それこそ、教養としての宗教、ということで。

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