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恐山と、生死の暗闇 [これから日本の話をしよう!]

最近気になっている本がある。
時間がないので読めないのだが・・・。

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

  • 作者: 南 直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/17
  • メディア: 新書



恐山の禅僧が語る、日本一有名な霊場・恐山についての本。

恐山は、生者と死者が交差する場。

仏教的には我、霊魂の存在は否定している。
しかし、六道輪廻の考えがある。この矛盾は唯識論に見る阿頼耶識(アラヤシキ)で説明できるのかもしれないが、私にはよくわからない。仏教は奥が深すぎて、生半可な私の手に余る。


しかし、私達にいやでも関わってくる生き死にの問題は、やはり不思議であり、興味がある。好奇心をそそられる。


例えば科学的に考えて、霊魂の存在を否定したとする。


しかし、私達が生まれ、あるいは死ぬときには、私という何かが生じて、そして無くなる。
それは、なにか。その正体は何だろう?


宇宙の始まりがあったとして、ビッグバンが生じる前には何も無かったのか。生じる寸前、そこには何かがあった。存在するものがあった。

まさに空海の言うとおりだ。

「生き生き生き生きて生の始めに暗く

 死に死に死に死にて死の終わりに冥し」

 (空海「秘蔵宝鑰」 こころの底を知る手引き ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

始まりも終わりもわからないのだ。


だから、そこにつけ込んで、色々な宗教が発生するし、なかにはタチの悪い商売もある。というか、タチの悪い商売のほうが多いんじゃないか?


とにかく。
オウム真理教のテロ以降、私達は宗教に対して悪いイメージを持ち、距離を置きつつも、スピリチュアルやパワースポット、あるいは占いといった代替品を気軽に用いて、私達の日常を逸脱した問題にアプローチしている。

我々は、生き死にといった不思議で身近な問題に、興味を持たざるを得ない。


恐山というところは、一度は行ってみたいところだ。死と生とが交差する場所。
しかしそこは思いが多すぎて重い。気軽に足を運べるようなところではない。

そんな恐山で住職代理を努めた禅僧の恐山論。ぜひ聞いてみたいじゃないか。



日本人は昔から、死者は山に登ると考えていたようだ。山と死者。結構我々と身近な問題かもしれない。

いくつかのアマゾン・レビューをみると、変にスピリチュアルに偏っていないそうだ。
ならば尚更読んでみたい。

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