無遠慮 [これから日本の話をしよう!]
口論のすえに刃物で刺した事件の容疑者が捕まった。この事件は駅のエスカレーターでぶつかったことを発端だった。
世の中、イライラが蔓延している。
駅や混みあった場所を歩いていて感じることがある。
スマートフォンを見ながら歩いている人や、イヤフォンをつけている人の多くは、正直、邪魔だ。
人間はマルチタスクが苦手だというのは本当だと思う。人は一度に複数のことをやるより、1つのことに集中したほうが高いパフォーマンスが発揮できる。視覚や聴覚が他に気をとられていると、周囲の状況にうとくなるし、歩きがおろそかになる。人ごみでは尚更で、恐らく本人たちが思っている以上に、人の流れに乗れていない。
世の中、イラッと来ることが多い。自戒もこめて、この件について考えてみよう。
七つの習慣という超世界的ベストセラーがある。
7つの習慣―成功には原則があった!
この本のなかに、こんなエピソードがある。
著者のコビー博士の体験だ。
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ある日、地下鉄に乗っているときのことだ。
車内はとても静かだった。
その静寂が破られたのは、父親とおぼしき1人の男性と、その子供達が乗り込んできてからだった。
子供達は大声を出したり暴れたりと大騒ぎ、一瞬にして車内は騒々しくなった。
父親はと言うと、座席に座り、目を閉じているだけで、注意しようともしない。
コビー博士は次第にイライラがつのった。
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これはよく見かける光景だ。
コビー博士のように、電車内でも、あるいはファミリーレストランなどでも、道端でもショッピングセンターでも見かける。
騒ぐ子供達と、放置する親、という構図だ。さて、コビー博士はどんな行動をとったのか。
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コビー博士は我慢できなくなり、子供達を注意しようともしない父親に言った。
「あなたの子供達が騒いでいて、みんな迷惑していますよ。なぜ注意しないんですか?」
すると、父親は目を開け、まるで初めて周囲の様子に気がついた様子で、こういった。
「ああ、そうですね、なんとかしないと・・・。
実はたった今、病院から出てきたところなんです。
一時間ほど前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから、すみません。
いったいどうすればいいか・・・あの子たちも混乱しているようで・・・」
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以上の話は、パラダイム転換の話として紹介されている。パラダイム転換(変換?)は、ものの見方や考え方が大きく変わることをさしている。興味のある人は読んでみるといい。
7つの習慣―成功には原則があった!
さて、私達は相手を気遣うということが、苦手になっている。
朝の満員電車で足を踏まれた。カバンがぶつかった。肩が触れた。
そんな時。
「何か理由があるのかな?
「きっと、忙しくて大変なんだろうな」
「ムシャクシャすることでもあったのかな?」
な~んて思う余裕なんて、まったくない。
最近、ある高額所得の芸能人の母親が、生活保護費を不正受給していたのではないかとのニュースを見かけた。
事の真相はわからない。そして私はこの件について深くはしらない。が、きっとこの親が言うだろうことは、想像できる。「息子に迷惑をかけたくなかった」。この芸能人の親はそんなことは言っていないかもしれない。しかし、このようなことを言っている人を身近で見たことがある。家族には迷惑をかけられない。
この言葉は、かつては、こういう使われ方もしていたはずだ。
「世間様に迷惑をかけちゃいけない」
少し前にこのブログでも紹介したが、村八分と言う言葉がある。地域の生活における共同行為のうち、2つ分を除いて8つ分をはじくので、村八分。
はじかれるのは、
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行。
はじかれないのは、共同体に影響のある2つ。
葬式、火事。
日本の昔は、セーフティーは地域の共同体だった。生活が厳しくなれば、周囲の人々に頼らざるを得なかった。ところが今は、地縁なんてほとんどない。助けてくれるのは国、自治体。顔の見えない人たちが、制度として、事務作業的に、助けてくれる。
必要な人に救いの手が伸びないという矛盾も生じているようだが、その反対に、不必要に制度を“活用”する輩もでている。個の時代とは、こういうことなのだろうか。
縁がなければ、無遠慮になる。
縁が遠くなって、慮る(おもんばかる・・・思い巡らす)ことが無くなる、ということだ。
満員電車でもエスカレーターでも、社会のセーフティーでも、根っこは同じであるように見える。
世の中、イライラが蔓延している。
駅や混みあった場所を歩いていて感じることがある。
スマートフォンを見ながら歩いている人や、イヤフォンをつけている人の多くは、正直、邪魔だ。
人間はマルチタスクが苦手だというのは本当だと思う。人は一度に複数のことをやるより、1つのことに集中したほうが高いパフォーマンスが発揮できる。視覚や聴覚が他に気をとられていると、周囲の状況にうとくなるし、歩きがおろそかになる。人ごみでは尚更で、恐らく本人たちが思っている以上に、人の流れに乗れていない。
世の中、イラッと来ることが多い。自戒もこめて、この件について考えてみよう。
七つの習慣という超世界的ベストセラーがある。
7つの習慣―成功には原則があった!
この本のなかに、こんなエピソードがある。
著者のコビー博士の体験だ。
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ある日、地下鉄に乗っているときのことだ。
車内はとても静かだった。
その静寂が破られたのは、父親とおぼしき1人の男性と、その子供達が乗り込んできてからだった。
子供達は大声を出したり暴れたりと大騒ぎ、一瞬にして車内は騒々しくなった。
父親はと言うと、座席に座り、目を閉じているだけで、注意しようともしない。
コビー博士は次第にイライラがつのった。
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これはよく見かける光景だ。
コビー博士のように、電車内でも、あるいはファミリーレストランなどでも、道端でもショッピングセンターでも見かける。
騒ぐ子供達と、放置する親、という構図だ。さて、コビー博士はどんな行動をとったのか。
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コビー博士は我慢できなくなり、子供達を注意しようともしない父親に言った。
「あなたの子供達が騒いでいて、みんな迷惑していますよ。なぜ注意しないんですか?」
すると、父親は目を開け、まるで初めて周囲の様子に気がついた様子で、こういった。
「ああ、そうですね、なんとかしないと・・・。
実はたった今、病院から出てきたところなんです。
一時間ほど前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから、すみません。
いったいどうすればいいか・・・あの子たちも混乱しているようで・・・」
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以上の話は、パラダイム転換の話として紹介されている。パラダイム転換(変換?)は、ものの見方や考え方が大きく変わることをさしている。興味のある人は読んでみるといい。
7つの習慣―成功には原則があった!
さて、私達は相手を気遣うということが、苦手になっている。
朝の満員電車で足を踏まれた。カバンがぶつかった。肩が触れた。
そんな時。
「何か理由があるのかな?
「きっと、忙しくて大変なんだろうな」
「ムシャクシャすることでもあったのかな?」
な~んて思う余裕なんて、まったくない。
最近、ある高額所得の芸能人の母親が、生活保護費を不正受給していたのではないかとのニュースを見かけた。
事の真相はわからない。そして私はこの件について深くはしらない。が、きっとこの親が言うだろうことは、想像できる。「息子に迷惑をかけたくなかった」。この芸能人の親はそんなことは言っていないかもしれない。しかし、このようなことを言っている人を身近で見たことがある。家族には迷惑をかけられない。
この言葉は、かつては、こういう使われ方もしていたはずだ。
「世間様に迷惑をかけちゃいけない」
少し前にこのブログでも紹介したが、村八分と言う言葉がある。地域の生活における共同行為のうち、2つ分を除いて8つ分をはじくので、村八分。
はじかれるのは、
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行。
はじかれないのは、共同体に影響のある2つ。
葬式、火事。
日本の昔は、セーフティーは地域の共同体だった。生活が厳しくなれば、周囲の人々に頼らざるを得なかった。ところが今は、地縁なんてほとんどない。助けてくれるのは国、自治体。顔の見えない人たちが、制度として、事務作業的に、助けてくれる。
必要な人に救いの手が伸びないという矛盾も生じているようだが、その反対に、不必要に制度を“活用”する輩もでている。個の時代とは、こういうことなのだろうか。
縁がなければ、無遠慮になる。
縁が遠くなって、慮る(おもんばかる・・・思い巡らす)ことが無くなる、ということだ。
満員電車でもエスカレーターでも、社会のセーフティーでも、根っこは同じであるように見える。
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