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七夕は何故“たなばた”と読むのか!? [これから日本の話をしよう!]

もうすぐ七夕だ。

商店街やショッピングセンターでは、七夕行事に乗っかってセールをやっている。子どもの頃は、七夕飾りで短冊に願い事を書いた。何を願ったかは覚えていないが、おそらくは欲しいものリクエストくらいの認識でいたに違いない。


七夕は、七つに夕方の夕と書いて、「たなばた」と読むわけだが、もちろん当て字である。
ちなみに、七日の夕方という意味あいもあるので「七夕」と書く、というのは一理有りだが、正しくは6日の夕方から飾り、7日の夕方に片付けることを考えると、何となくこじ付けっぽく感じる。そもそも、“七”に“夕”と書くのはいいとして、なぜ「たなばた」と読むのかがわからない。


七夕と書いて「しちせき」と読むのはとても自然だ。実は「七夕」と書いて「しちせき」と読む、節供がある。

節供には五節句というのがあり、三月三日の桃の節供や、五月五日の端午の節供がある。節供はどれも奇数が並んでいるが、これは偶然ではなく、奇数は吉数とされているからだ。
七夕の節供は、七月七日なのである。

では、なぜ「しちせき」を「たなばた」と読んだかというと、日本独特のハイブリッドさがあるためだと思う。

「たなばた」は「棚機」を指し、そもそもは「棚機津女(たなばたつめ)」の伝承から来ている。

棚機津女(たなばたつめ)とは、水辺で機屋にこもり、神衣を織りながら神(祖霊?)の訪れを待つ織女であると折口信夫は説明している。

また、平安中期くらいには織女を「たなばたつめ」と読んでいた。


七夕の、物語性や祭り的要素など表向きのものは、中国由来の要素が強いように思える。
お話、つまり物語性は中国の牽牛と織女、つまり彦星と織姫の伝説。短冊に書く願い事となると、乞巧奠(きっこうでん)の手芸や裁縫の上達を願う行事から来ている。

織姫と彦星を祭り、七夕飾りで短冊に願いを書いて、天の川を見上げる。今年は、織姫と彦星は会えるだろうか、とロマンチックに思いを馳せる・・・。


この七夕の裏には、別の要素がある。

棚機津女のように、神衣を神に捧げることで、災厄を回避したり、豊作を祈ったりする役目。おそらくこの棚機津女は、ただ織物をするだけの女性ではないはずだ。また、禊のように、災厄を七夕飾りにつけそれを流す習慣もあった。
七夕祭りの裏には、かつて人々の切なる厄災回避の願いがあった・・・のだと思う。


日本古来の棚機津女という織女の伝承、乞巧奠という7月7日に手芸裁縫の上達を願う行事、織女と牽牛の伝説、そういったものが、お盆という時期的要素を交えながら合わさっていったのが現在の七夕だ。


旧暦の7月7日は、今年は8月24日だそうだ。
・国立天文台(伝統的七夕)
・伝統的七夕ライトダウン2012推進委員会

もともとは新暦の行事ではなく、旧暦、つまり太陰太陽暦に根ざした行事であるため、今のこよみにはそぐわない。
今のカレンダー上では、七月七日は梅雨まっさかり。
本来は8月下旬あたりであり、梅雨空ではない。

空を見上げるに雨や曇りの心配は少なく、織姫様と彦星様も一安心の季節ではあるが、逆に、台風や雷雨など、強烈な水の災害を向かえる時期でもある。

七夕の日本的民俗行事の中には、水浴びや行水など、水に関するものが多い。

また実りの秋を迎える行事でもある。禁忌として、畑に入ることを禁じる地域がある。


祈りと厄払いと、祭り的要素と物語性と、色々なものが詰め込まれた七夕行事。
ただのセールスイベントで終わらすには、あまりに勿体無い。

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