置かれた場所で、遅咲きのヒマワリを・・・ [雑談]
自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。
~ ラ・ロシュフコー
このところ、私はテレビドラマを見ることが多くなった。
そこで気がついたことがある。
最近評判のよろしくないフジテレビだが、どうやら今クールのテーマは「人との繋がり」的なものであると感じた。
有形ではなく無形のもの。
例えばキムタクの月9ドラマ、プライスレス。タイトルどおり、お金とは別の価値をテーマにしている。
初回しか見ていないが、阿部寛さんや山口智子さんの出ている、ゴーイング マイホーム。おそらく、これは家族がテーマだろう。
そして、ゴーイングマイホームと同日にやっている「遅咲きのヒマワリ」 。 生田斗真さん、真木よう子さんのドラマで、“自分探し”的な匂いのするドラマである。
この「遅咲きのヒマワリ」を、昨日見た。
実は、昨日で3話目なのだが、全て見ている。
正直、初回を見たときは、悪くはないが続けて見ないだろうと思っていた。
あらすじが私のあまり好きではない方向性だったからだ。
主人公は東京で派遣社員として働いていたが、なかなか正社員になれない。本人は深刻に受け止めていなかったのだが、そのようなところを理由に恋人に愛想を尽かされ、また実家に戻っても家族の微妙な反応に居心地悪さを感じる。貯金もなくなったことから、偶然見つけた「四万十市役所臨時職員」の職に飛びつき、四国に渡る。
田舎の村の人々とのつながり、またタイトルが示すように、いつか花を咲かせる的な自分探し的要素。
あまり好きな傾向ではないのだが、四万十の美しい風景に心を癒されながら、結局は見続けている。
ここに登場する、主人公と同世代の若者たちは、医者だったり、地元の有力者の娘だったり、かつて球児として活躍した青年だったり、様々な立場にある。しかし、誰も皆、今に不安や悩みを抱えている。
私がこのドラマを見てしまう理由の1つに、やはり私も同じなのだと、感じるところがあるからなのかもしれない。
彼らより年は上の私だが(いくつくらい上かは、伏せておこう)、今に十分満足しているのかと言われれば、途端に足元がぐらつく。
もちろん、幸せはある。
大きな不満はない。
しかし、本当に生きたかった人生を歩んでいるのかと言われると、簡単に首肯できるものでもない。
迷いはある。
迷っていることに気がついていない、いや、あるいは気がつかないふりを、しているだけで。
だから、例えば以下のような本のタイトルが、頭にこびりついて離れない。
置かれた場所で咲きなさい
読んでいない。
読む予定もない。
しかし、いい言葉だと思う。
置かれた場所で咲きなさい、か。
読んでいないのだが、その言葉の意味を噛みしめる。
考えてみる。
幸せは外で見つけるものではない。
内にあるものなのだろう。
ラ・ロシュフコーも、こう言っている。
自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。
だが、迷い迷いながら前に進むのである。
~ ラ・ロシュフコー
新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓
- 作者: ラ・ロシュフコー
- 出版社/メーカー: 日本能率協会マネジメントセンター
- 発売日: 2011/12/24
- メディア: 単行本
このところ、私はテレビドラマを見ることが多くなった。
そこで気がついたことがある。
最近評判のよろしくないフジテレビだが、どうやら今クールのテーマは「人との繋がり」的なものであると感じた。
有形ではなく無形のもの。
例えばキムタクの月9ドラマ、プライスレス。タイトルどおり、お金とは別の価値をテーマにしている。
初回しか見ていないが、阿部寛さんや山口智子さんの出ている、ゴーイング マイホーム。おそらく、これは家族がテーマだろう。
そして、ゴーイングマイホームと同日にやっている「遅咲きのヒマワリ」 。 生田斗真さん、真木よう子さんのドラマで、“自分探し”的な匂いのするドラマである。
この「遅咲きのヒマワリ」を、昨日見た。
実は、昨日で3話目なのだが、全て見ている。
正直、初回を見たときは、悪くはないが続けて見ないだろうと思っていた。
あらすじが私のあまり好きではない方向性だったからだ。
主人公は東京で派遣社員として働いていたが、なかなか正社員になれない。本人は深刻に受け止めていなかったのだが、そのようなところを理由に恋人に愛想を尽かされ、また実家に戻っても家族の微妙な反応に居心地悪さを感じる。貯金もなくなったことから、偶然見つけた「四万十市役所臨時職員」の職に飛びつき、四国に渡る。
田舎の村の人々とのつながり、またタイトルが示すように、いつか花を咲かせる的な自分探し的要素。
あまり好きな傾向ではないのだが、四万十の美しい風景に心を癒されながら、結局は見続けている。
ここに登場する、主人公と同世代の若者たちは、医者だったり、地元の有力者の娘だったり、かつて球児として活躍した青年だったり、様々な立場にある。しかし、誰も皆、今に不安や悩みを抱えている。
私がこのドラマを見てしまう理由の1つに、やはり私も同じなのだと、感じるところがあるからなのかもしれない。
彼らより年は上の私だが(いくつくらい上かは、伏せておこう)、今に十分満足しているのかと言われれば、途端に足元がぐらつく。
もちろん、幸せはある。
大きな不満はない。
しかし、本当に生きたかった人生を歩んでいるのかと言われると、簡単に首肯できるものでもない。
迷いはある。
迷っていることに気がついていない、いや、あるいは気がつかないふりを、しているだけで。
だから、例えば以下のような本のタイトルが、頭にこびりついて離れない。
置かれた場所で咲きなさい
読んでいない。
読む予定もない。
しかし、いい言葉だと思う。
置かれた場所で咲きなさい、か。
読んでいないのだが、その言葉の意味を噛みしめる。
考えてみる。
幸せは外で見つけるものではない。
内にあるものなのだろう。
ラ・ロシュフコーも、こう言っている。
自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。
だが、迷い迷いながら前に進むのである。
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