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鯰絵と神頼みコミュニケーション [これから日本の話をしよう!]

スマトラ島で地震が起き、太平洋の反対側、メキシコでも地震があった。

とくにインドネシアのスマトラ島。2004年に地震があり、それ以来、もう10年近くなるのに未だにこんな大きな地震があるのか。


日本も同じような状況になるのだろうか。

5年たっても10年たっても、巨大地震に怯えなければいけないのだろうか。


もう、達観するしかないね。地震はあるものだという前提で生きるしかない。その分、備えはしっかりしようじゃないか。


そういえば、東日本大震災のときに、ひとつ象徴的な出来事があった。

有名な話だから知っている人も多いと思うが、鹿島神宮の要石のことだ。


茨城県の鹿島神宮には、要石というのがある。地上にひょっこり見えている部分は、氷山の一角。石の大きさを見てやろうと、掘っても掘っても掘りきれないほど、その石は巨大なのだという。さてこの石は何の石か。いわれとしては、この要石は大なまずを封じているものだという。なまずといえば地震。大きな地震を起こす鯰を巨大な石で封じているのだ。

江戸時代、大地震が江戸を襲ったさいに、この要石の絵が大流行した。鯰絵という。鹿島大明神が巨大鯰を懲らしめている絵だ。


この要石があるために、この鹿島の周辺では、大きな地震に襲われることがなかった・・・


・・・のだが、先の東日本大震災。


あの時、鹿島神社の大きな鳥居が倒壊してしまったのだ。

石でできている、何メートルもある大きな鳥居が、根本からポッキリと折れてしまった。


要石は健在だが、この神社を象徴する鳥居の倒壊は、衝撃的だった。

いや、衝撃も何も、実際は鳥居が倒れたからといって、その実損害以外に、何かが起こるわけではない。それ以上でもそれ以下でもないのだが、こういったものに、日本人は弱い。


話は思いっきりそれるが、私は神頼みというのは、その一連の行為を通しての、神さまとのコミュニケーションだと思っている。ここで言うコミュニケーションとは、対人とのコミュニケーションとはもちろん異なる。神さまという存在を想定・仮定して(こんなこと言うと怒られるか)、自分の思いや思考を振り返り、整理し、どうありたいかを考える。思いをめぐらす。

仮想のコミュニケーションだ。

ある時は思考を助けてもらい、ある時は、自分の決断・覚悟を見守ってもらう。


自分自身の枠組みを、限界を、思考を飛躍させるための、ひとつの方法だ。或いは意思決定の決断補助、もしくは精神的リラックマだ。ああ、毎度のことだが、自分が何を言っているのかわからなくなってきた・・・。


ところで鯰絵、ほしいなぁ・・・。
絵の上手い人に描いてもらい、売り出したら売れるかな?
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