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世界に見られる、「盗まれた子ども」たち [雑談]



「盗まれた子どもたち」とは、まるで小説や映画のタイトルのようである。

記事によると、

<フランコ政権下で「道徳教育」上、問題があるとみられる家庭から子どもを引き離すという政策として当初開始された新生児の拉致は、じきに金銭目的に変化していったとみられている。母親たちは多くの場合、子供は出産して間もなく死亡し、病院がすでに埋葬したと聞かされていたが、新生児たちは実際には他の家庭に譲られたり、売られていた。こうした母親らによる訴えは1400件以上に上り、子どもを買った側が起訴される例も増えている。>


スペインの暗部だ。
フランコの独裁政権下(1939~75年)で起こった事件らしい。

似たような事件は、例えばアルゼンチンでも起こっていた。軍事政権下(1976-83年)の出来事で、母親は反体制派で投獄され、軍の施設内で出産。出産後、女性の多くは軍用機から生きたまま裸で海に落とされて殺されたという。

そういえばアルゼンチンってスペインの植民地だったなぁ・・・などと言ってはいけないかもしれない。

同じような事例で、映画にもなった事件がある。
場所はオーストラリア。
こちらは、あからさまなやり方だった。
1869年から1969年(公式的には)までの間、様々な州法などにより、先住民であるアボリジニの親権は否定され、その子供たちは親から引き離され、施設に送られた。

このオーストラリアの問題のやっかいなところは、明確な悪意に基づいて行われたわけではないというところ。非常にやっかいだと思うし、似たような間違いを、今後、我々が行わないとも限らないと、私は思っている。

このオーストラリアの件を、実話をもとに映画化したのが、これ。

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裸足の1500マイル [DVD]」という映画だ。


あらすじを、アマゾンより引用しよう。
<オーストラリアの先住民・アボリジニを隔離しようとする政策に従い、アボリジニと白人の混血の少女3人が家族から引き離され、英語やキリスト教など白人としての教育を受ける。家族に会いたい彼女たちは、施設を抜け出し、1500マイル(2400キロ)もの道をひたすら歩き続けた。実話をもとに、オーストラリア出身のフィリップ・ノイスが監督したヒューマンな感動作。
先住民を教育(洗脳?)しようとするヨーロッパ人の傲慢さが下敷きになっているものの、声高に彼らを批判するだけの作品ではない。アボリジニ保護局長(ケネス・ブラナーが好演)も、あくまで良心に従って行動している部分がうかがわれ、完全な悪役として描かれないところがリアルだ。3人の少女を演じる子役たちの表情がなんとも力強く、ラストには、モデルになった女性たちも登場し、感動を新たにさせる。(斉藤博昭)>

上に書かれているように、差別や非道い行いをするものが、必ずしも悪意を持っているとは限らない。これは私たちがしっかりと認識しておかなければならないポイントだと思う。


この世の中にはわかりやすい勧善懲悪なんてないし、明確に善悪のラインを引けるものではない。今の常識は現在時点での常識であるし、それはどこかでひっくり返るかもしれない。


さて、オーストラリアの・アボリジニ隔離政策は、言い方は悪いかもしれないが、行儀のいいジェノサイドであると思う。つい最近でも東ヨーロッパやアフリカで、そしてかつてはナチスが行った民族の抹消行為。虐殺で民族を消すという行為に比べれば、という意味で行儀がいいといったが、決して許される行為ではないと思う。

当然、アボリジニの文化は断絶される。



話は飛ぶが、日本はどうだったんだろう?

縄文人から弥生人への移行は、戦闘行為があっただろうことはわかるが、しかし、上にあるような隔離政策的な、色々の形での民族の抹消的な行為はあったのだろうか?

蝦夷などという蔑称があり、あるいは土蜘蛛と呼ばれた人たちは?

例えば、卑弥呼の時代以前から奴隷、つまり生口や奴婢(ちなみに、男が奴で女が婢)とされた人があったが、それは単なる国同士の戦いに負けた人々か?それとも・・・。

或いは、神隠しであったり、童謡、例えば「ずいずいずっころばし」や「かごめかごめ」などは、まったくの無関係なのだろうか?
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