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大恐慌という名の茹で湯 [これから日本の話をしよう!]

もしかしたら、私たちは既に大恐慌の只中にいるのかもしれない・・・。つまり、今は静かなる大恐慌の中に私たちはいる・・・。
そう感じたのは、この記事を読んでのことだ。
<フランス人の半数近くが自分のことを「貧しい」と思っているか、すぐに貧しくなるかもしれないと恐れているとの調査結果が6日、発表された。>

この静かなる大恐慌という言葉は、集英社から出されている新書のタイトルでもある。読んでみてなるほど面白いと感じ、確かに予感させるものがあると思っていた。しかし、今まで本当の意味で腹に落ちていなかったんだなぁ・・・。このフランス云々のニュースを見て、私は“静かなる大恐慌”の中にいることを、リアリティを持って感じられた。

静かなる大恐慌 (集英社新書)


静かなる大恐慌 (集英社新書)

静かなる大恐慌 (集英社新書)

  • 作者: 柴山 桂太
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: 新書


世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と同じコースを歩み始めた。 グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が激化している。

茹で蛙という喩えがある。熱湯にカエルを入れると熱くて飛び出るが、水にカエルを入れて徐々に茹でていくと、そのうち気がつかずにカエルは茹で上がって死んでしまうという、有名な喩えだ。
過去の大恐慌が熱湯だったとしたら、今は徐々に茹でられているようなものかもしれない。今の温度は何度だ!?

EUはまさに身内・周囲に火種をいくつも抱えていて、貧困への恐怖は日本よりも身近に感じるものがあるのだろう。

ニュース記事には、こうある。
「もっとも貧困の危険を感じていたのは会社員、肉体労働者とフリーランス契約者だった。一方、最も危険を感じていなかったのは管理職や専門職に就いている人たちだった。」
どちらも、大企業の論理から言えば、すぐに切り捨てられやすい職種といえる。
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉」では、フリーランス(ミニ起業家)が活躍する未来の舞台を見せていたけれど、恐らく活躍できるのは本の一部。ワークシフトで書かれていた“孤独”云々以上の、経済苦という現実的な驚異がフリーランスたちを襲うのではないか。


静かなる恐慌・・・。
金融や財政の困難に対する対処能力は大幅に向上している。だから、本来であれば大恐慌に陥っていてもおかしくない状況なのだが、何とか延命されている。しかし、危機はさったわけでなく、ゆっくりと進行しているだけだ。

静かなる大恐慌 (集英社新書)」で描かれている世の中の状況というのは、あまりにも“現在-いま”にマッチしすぎている。本書が書かれたのは中国の反日暴動の前だが、別に言い当てられたわけではないが、それに等しい状況になっていると思う。

私たちの行く道の先には、貧困という名の巨大な山が見える。
はたしてこれを避けて通れるのか、この位置からではハッキリとは見えない。しかし、このまま進んでいけば、おそらくあの山にぶち当たるだろう。
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