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変な広告 [雑談]

インターネットを見ていると某洋酒メーカーのサプリメントの広告の、異様さに気がつく。
日本でも有数の大会社なのに、なんだ、この異様さは。

・52歳 「スゴイ!」と妻が・・・ 男の自信、取り戻すきっかけとは?(52歳 男性)

・43歳、夫の全てが気に障る 私、40代特有のアレかも・・・

・「50代、女性を惹きつける男。」その活力の源とは?


それぞれに貼られている女性などの画像が思わせぶりで、いかがわしいサイトの広告かと思うほど。

この会社、創業者一族がかつて東北を蔑視した発言をし、物議をかもしたことがある。
何だか変な会社だなぁと思いながらも、それでも大企業であるうえに、特に時代に流されない経営方針は対したものだと思っていたのだが・・・最近はやっぱり変だなぁ。

京の都のある近畿以外を僻地とみなし、僻地に住まう人々を人外の者と蔑み、しかし自分たちがこんな変な広告を出してプロモーションしているのでは、客を馬鹿にしているとしか思えん。
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生きにくい世界 [読書]

私は歴史などが好きなので、どうしても経済優先の考え方には否定的な態度を示してしまう。

道路やマンションを建築するために消された寺社、古墳、景観などは数知れない。土地が削られれば、そこの歴史も削られる。古いものが消えてしまうことは、仕方のないことだ。私の住んでいる場所にだって、かつては何かがあり、何かがあった場所の上に私たちは暮らしている。

だけど、気持ちとして、消えてしまった神社や古墳について残念に思う。残せるのであれば、残して欲しかった。

という感じで、経済が加速して新しいものが古いものを駆逐してしまうよりは、新旧が共存していける、ゆっくりとした社会の方が望ましいと考える。

ところが、現実はそんな簡単なものではない。

経済が成長しなくなって久しいが、パイの広がらない社会というのは、とんでもなく息苦しい。

国力に限りが見えたとされるやいなや、隣国は態度を強行に打って出る。領土をめぐるイザコザが頻発する。将来の先行きが暗いとうな垂れ、税金や社会保険など負担ばかりが増えていく。
しかし、収入は一向に増える気配がない。

好調な企業は外に出て、グローバル化の世の中にあっては、企業業績と(国内)社員への還元は、必ずしも比例しない。


最近とみに感じる。
なんて息苦しい世の中だ、と。
色々なことの不安がわたしを襲う。

この原因を、「経済が縮小しているため」と私は思っているが、しかし必ずしもそれだけとは限らないかもしれない。


ともかく、私は今この時代に、うまく適応できていないのだと思う。

適応するためのプログラムをダウンロードしなければいけない。

「アップデートします」

そんなつもりで、今、この本を開いている。

なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)

なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)

なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)

  • 作者: 南 直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/09/28
  • メディア: 文庫


仏教の、特に日本の仏教ではなく1人の人間としてのシッダールタ(お釈迦様)の考え方は、生きることを考える上での良いソフトウェアではないかと、漠然と考えていた。
その関係で、何冊か仏教系の本を読むことがあったのだが、以前たまたま南 直哉さんの本を読んだことがあり、更にたまたま書店で本書を目にし、購入することにした。

「なぜこんなに生きにくいのか」というタイトルの言葉そのものに引き寄せられた。

南 直哉さんの文章と考え方が、私にはしっくりくる。
今日から読み始めたばかりで、まだ第1章しか読んでいないが、買ってよかったと実感する。南 直哉さんの本を読んだのは、これで2冊目だ。

1冊目は以前このブログでも紹介した、「恐山」。
恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

  • 作者: 南 直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/17
  • メディア: 新書


そして、この2冊目を序盤まで読んだところで確信した。

この人の本は、全部読もうと。
私にとって、必要な本だ。

「なぜこんなに生きにくいのか」。
そう感じている人には、ぜひ読んで欲しい本だ。
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邪教・・・日本のケースを考える(人柱や生贄と、魔王を祀る神社について) [これから日本の話をしよう!]

世界には、まだまだ呪術の信仰が残っている。
世界各地で今だに魔女狩りだの儀式にちなんだ殺人などが起こっている。不幸で恐ろしいことだが、では日本ではどうか。

昨今の日本では、一部で除霊だの悪魔祓いだのという理由で、人が死にいたらされてしまう事件がある。

ただここで取り上げたいのは、そういったレアケースではなく、これまでの日本の歴史としてどうだったかということ。

日本でも色々なケースがあるのだが、ここでは私なりの視点で2つのことを紹介したい。

まず1つめ。
人柱、人身御供、生贄という信仰について。

明治か大正か忘れたが、皇居で多くの人柱が出てきて騒ぎになったことがある。
人柱というのは、まぁご存知だとは思うが、呪術的な意味合いを込めて人を埋める行為である。
多くは生きたまま埋めたり沈めたりされ、災害やら災禍をそらそうとする。

皇居から発見された人柱は江戸城築城のさいのものだと思われるが、
「伝説ではなく、本当にあったんだ・・・」
と衝撃的な事件だったと思う。

では、生贄、つまり人身御供はあったのか。

この考察については興味深い本がある。
これだ。

神、人を喰う―人身御供の民俗学

神、人を喰う―人身御供の民俗学

神、人を喰う―人身御供の民俗学

  • 作者: 六車 由実
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2003/03/30
  • メディア: 単行本


衝撃的なタイトルだが、中身はいたって真面目な民俗学の本で、トンデモ系の本を期待して読むと肩透かしをくらうことになる。

この本の面白さは、全国の様々な人身御供の神事を、冷静な目で丹念に分析している点である。
全国には動物を生贄とした、おどろおどろしい神事がある。

鹿の頭を切り取り、並べたもの。
うさぎを尻から月刺しにしたもの。


全国の、様々に残る伝承。

そこに、生贄に人は含まれるのか。

人は、神に喰われたのか。


結論は意外な方向へ向かうことになるが、ひと言でいうと恐らく人が神に食われることはなかった。しかし、人柱など、儀式や信仰に基づいて殺されることはあっただろう。

本書は途中で少し難しく感じるかもしれない。
しかし、後半に入ると、前半を振り返りつつ結論へと持っていくので、途中で投げ出さなければ最後までちゃんと読める本だ。


2ツ目は、第六天に関する信仰である。
これも相当変わった信仰である。

第六天とは、魔王だ。
織田信長が自称したことで有名だが、仏教の魔王中の魔王。

この第六天を祀った神社が、かつては武蔵国(今の東京や埼玉)を中心に、数百という数であったのだ。

日本の神様は恵みをもたらせてくれる良い面と、恐ろしく荒々しい面との両方を合わせ持つ。にしても、魔王を祭ってしまうというのも凄い話だ。

邪教と呼ばれる、後醍醐天皇が関わったとされる立川流のような宗教もある。しかし、第六天は関東地方限定とはいえ、広く信仰が広がっていた。

しかし実は、第六天神社について、詳しいことはほとんど分かっていないのである。関東に数百という数の神社があり、信仰されていたにも関わらず、いつの間にか消えてしまった。

明治期に神仏分離の影響で、祭神が変えられたり、社名を変えたりということが起きたことも、理由として大きいと思う。

現在では、いくつか第六天神社が存在するものの、ほとんどは小祠として僅かに形をとどめている程度である。

ともかく、謎の多い、しかしかなり広く信仰されていた第六天魔王。

我々の先祖は、魔王に一体何を願っていたのだろうか。

第六天については、ここでは書ききれない色々のことがある。改めて時間のあるときに言及したい。
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