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たばこのポイ捨てとスズメの減少 [雑談]

長らく、私はポイ捨てをする喫煙者に対して、怒りを感じてきた。だが、それはもしかしたら間違いだったのかもしれないー。

なぜ、ポイ捨てに怒りを感じていたのか。
それは、私は地域の清掃活動に参加することが、たまにあるからだ。こういった活動に参加したことのある人だったらわかると思うが、いかに街中にタバコのゴミの多いことか・・・。

喫煙者の中には、ご丁寧にもドブや側溝にタバコを捨てる人がいる。
あれは何なんだ?
普通に地面に落とすより、邪魔じゃないとでも思っているのか?それとも、隠したい心理の現れだろうか?

しかし、私はこう言いたい。

「おい、側溝に入れれば、たばこが消えてなくなるとでも思っているのか?」 と。
まあ、怒りを感じていたわけだが、実はポイ捨てタバコ、有効活用している動物がいるのだそうだ。それが、このニュース。↓↓↓

「都市の迷惑行為として悪評高いタバコの吸殻が、メキシコのスズメにとっては貴重な恵みだったとする研究が、5日の英国王立協会の専門誌バイオロジー・レターズに掲載された。スズメたちは吸い殻を巣に組み込んでひな鳥のベッドにしていたばかりでなく、巣に害虫が付くのを防ぐのに活用していたという。」

なんと、吸い殻に含まれるニコチンが害虫を追い払うのに役立っていると考えられるのだそうだ。

なるほど。

では、メキシコでは許そう。ポイ捨てを。
日本では、すずめが有効活用しているとは限らないので、却下だ。


いや・・・ちょっと待てよ・・・。

そういえば、スズメというのは、数十年前と比べて個体数が大幅に減少しているらしい。日本では、50年前の10分の1にもなっているという。急激に少なくなっているのだ。

原因は不明。

もしかして、肺がんとかが原因では・・・!

やっぱ、ポイ捨ては全面的に禁止!!
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ホラー小説「暴落」に見る、人の落ちる最下層 [雑談]

泉佐野市が行っていた、名前を売るという馬鹿げた行為(自治体名の命名権ネーミングライツ)だが、1ヶ月感募集したが応募がなかったという。大切な名前をお金に変えようというお金最優先の奇策だったが、どうやら失敗に終わったようだ。千代松大耕市長は記者会見で、「市の名前が変わるのか、と不安を感じた市民にはおわびしないといけないが、1円でも多く税外収入を確保しようとする姿勢は知ってもらえた」と語っているが、全国に知れ渡ったのは、金に目がくらんで名前まで広告にしちゃおうという自治体があったという汚名だけだ。汚名を宣伝してどうするのでしょうか。いくつも選択肢がある中で、恥ずべき行為を選択し、悪い評判だけ広めて、果たして意味があったのか・・・。


と、さんざん辛辣なことを書いて申し訳ないが、なぜこんなことを書いているかというと、私は安易な地名変更がすごく嫌いだからだ。

いや、泉佐野市の場合は、安易であはあるけれど、普通の地名変更とは違う。名前を広告にし、お金で売ろうとしたのだから、私からすれば信じられない行為だ。だいたい、地名は市のものなのか?財政的に厳しい状況にあったのには同情するが、広告だったら他にいくらでもあるだろう。

と私は思うのだが、この市長と私では、根本的に名前というものに感じる価値観や、地名についての考え方が、もうどうしようもないレベルで異なるのかもしれない。


名前を売る、つまりネーミングライツで思い出す小説が1つある。以前、このブログでも紹介したが、曽根圭介氏の「暴落」という作品だ。

鼻 (角川ホラー文庫)

鼻 (角川ホラー文庫)

  • 作者: 曽根 圭介
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 文庫


鼻 (角川ホラー文庫)

これは上記リンクにある「鼻」という短編集のなかの1つの話なのだが、ちなみにこの「鼻」はパラサイトイブや黒い家で有名な日本ホラー小説大賞の短編賞を、確か受賞していたと思う。
パラサイト・イヴ (角川ホラー文庫)

黒い家 (角川ホラー文庫)




さて、「暴落」だが、これは個人が株式市場のようにランク付けされる世界の話だ。毎日、個人の価格が変動する。上がることがあれば下がることもある。“株価”が、その人を表す価値であり、“株価”が結婚や就職活動に影響してくる。全て価格=お金の数値で価値が計られる。

ここで暴落した人はなかなか這い上がれない。
仕事をすることもできない。
どうするか。

自分を売るのである。

不法な仕事をし、やがて戸籍を売り、そして名前を売ることんある。


物語には、暴落した男、イン・タムさんという人物が登場する。
イン・タムさんは、もちろん本名ではない。
商品の名前を冠しているのだ。


病院などに行き、受付からこの名前で呼ばれる。これが広告だ。


名前が広告に、商品になってしまったら、イン・タムさんとは一体誰だ、ということになる。やがて彼は落ちるところまで落ち、人には戻れなくなる。


ところで、人の名前というものは、時代と場所によって考え方が大きくことなる。名前なんて知らない人間に知られないほうがいい、という考え方の時もあったし、人外のモノに連れ去られぬようわざと良くない名前をつける(うんこ、みたいな)、ということをしていた時代・場所もある。戦中であれば、勝利や武といったような、勇ましい名前が好まれるし、昭和や大正など年号が変わればその年号の字をとった名前がランクの上位に上がった。

立派な人から字を頂戴することもあるし、尊敬する人に命名してもらうこともある。

しかし、名前を売るなんて、考えられないだろう。

市名だって地名だって同じである。名前を売るというのは軍門に下ることであり、支配下に置かれることを意味する。泉佐野市は何の軍門にくだるのか。お金である。
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生活習慣病のリスクにさらされる僧侶 [雑談]

仏教国スリランカの政府は、僧侶の食事管理について、指針を出すことにしたそうだ。
今スリランカの僧侶たちは、美食のせいで生活習慣病のリスクにさらされているのだという・・・。


というのも、スリランカの僧侶たちは、基本的に食事を自分たちでつくらず、寄進を受けてまかなっているのだが、信者たちは、「おいしいものを食べてもらいたい」と味付けの濃い料理なりがちなのだという。

で、どんどん太り、糖尿病などの生活習慣病のリスクにさらされているのだ。


なんてことだろう。

味付けの濃い料理って・・・。もしかして、肉やなんかも含まれているのだろうか!?


以前、これは日本の国内の坊さんの話だが、とある坊さんが、お歳暮やお中元、盆や年末などに煎餅や和菓子を持ってこられることが多くて困る、と言っていた。いや、困るとはっきりといったわけではなく、すごくあるんですよ、と。食べきれないくらいに。大量に、と言っていた。

和のイメージがあるから、煎餅や和菓子を持っていくのだろう。

なんにせよ、平和な話題だなぁと思う。
(生活習慣病のリスクにさらされた僧侶には悪いが・・・)
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人生の消費と強みの発見 [雑談]

人生というのは、ぼうっとしていると、本当に無意味に過ぎてしまう。

筋肉は意識して鍛えなければ、効果がないらしい。
また、ただ単にダラダラと走っていても、マラソンは早くなれない。


人生も同じだ。


ただ毎日を過ごすだけでは、人生を消費しているのと同じだ。


とはいえ、まるで鍛錬するように人生を過ごすというのも、難しい。
具体的に何をするの?と聞かれるのも、しんどい。

やはり、目的をもつしかないだろう。

そんなこんなの“人生の迷子”は、多いんだと思う。

だから、この本がいつまでもアマゾンのベストセラーに並んでいるのだ。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

  • 作者: マーカス バッキンガム
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2001/12/01
  • メディア: 単行本


この本は私も読んだことがある。

1冊1冊にIDが付与されていて、ウェブサイトにアクセスして才能チェックをする。ストレングスファインダーというやつで、自分の強みを発見できるというテストだ。20分前後の時間が必要なので、もしやるのなら時間を確保して臨むように。

気をつけるべきは、古本ではダメということ。すでにIDを使われている可能性がある
買うのであれば、必ず新刊にすること。

で、やってみると結構面白い。
テストの結果そのものよりも、テストの過程と、結果を見ての振り返りにこそ、その要諦があるのではないかと感じる。

まだやったことのない人には一度やってみることをお勧めする。その際には、間違って中古を買わないように。なに、1700円程度の出費で楽しめるのだ。安いものさ。
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真冬のひまわりのように・・・ [雑談]

誰もがさぁ、胸の奥にね、秘めた迷いというのがあって。

その中で手にしたぬくもりを、さ。

それぞれに抱きしめてるわけだよ。

そして、新たなる道を行くわけさ。



何が言いたいのか、わかる人はいるだろうか?

何の理由もないんだろ、と言われればその通りだが、上はある歌の歌詞である。少しリメイクしているが。



誰もがさぁ、胸の奥にね、秘めた迷いというのがあって。

の中で手にしたぬくもりを、さ。

それぞれに抱きしめてるわけだよ。

そして、新たなる道を行くわけさ。



でも、そういうのってあるよね。
少なくとも、私はあるよ。

この部分だけなら、色々な意味にとれるよね。
人それぞれ、十人十色。


なんでこの歌を思い出したかというと、例のあのドラマを見てだった。
遅咲きのヒマワリ。

歌もあれだが、どちらかというと、“遅咲きのヒマワリ”そのものにある。

毎回、ドラマのどこかで、遅く咲き始めようとしている向日葵が出てくるんだけど、それを見て思い出したんだ。


真冬のひまわりのように鮮やかにゆれている、てとこ。

ふと。

確かに、過ぎ去ったあの時に置き忘れたものを、もう一度手にしたいと思うこと、あるよな。

取り返しってきかないよな。
過去はもうどうにもならない。
でも、リカバリーはできる。

頑張れよ、順一。
よし、私も、明日もがんばろう。
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あゆに新恋人・・・。 [雑談]

あゆに新恋人・・・。
よくわからんが、最近のこの人は、なんか幸せになれるイメージがない・・・。

余計なお世話か・・・。
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ここまで来たか!?最悪のステマ [雑談]

突然、携帯に着信。
045-で始まる、見知らぬ番号。

出てみると、証券会社のような名前の会社の、投資マンション勧誘のセールス電話だった。
とにかくデカイ声で、一方的に話す。断っても断っても、切らない。どこでこの番号を知ったのかと聞くと、名簿屋で買ったと悪びれる様子もない。とにかく、何を言っても切らない。

何を言っても電話を切れないので、仕方なく一方的に切断した。

で、気になって、先ほどの会社名でググってみると・・・。


驚いた。

社名に、評判や迷惑、ブラックという言葉を&してでググると、上位に出てくるのは、こんな感じのブログだ。

ブログタイトル
「評判の●●(社名)で借りた×××」
「●●(社名)の人×××××、あれから迷惑電話かからなくなったよ」
「●●(社名)、評判、迷惑、迷惑電話」
「ブラックラグーンと●●(社名)」
「ブラックジャック好きが●●(社名)を使って××し」
(注:●と×部分は、一応伏字にしました。)


なんて不自然なタイトル・・・。

そう、このキーワードで検索されるだろうことを予想して、そういったキーワードを配置した大量のブログが作られているのだ。中身は内容のない文章がチラッとかかれているのみ。


ぞぞぞ~、としましたよ。


あの電話を切らせない執拗さ、無遠慮で無意味に大きな声・・・。
こんな奴らがたくさんいて、そして大量のブログもせっせと作っている・・・。その労力、その環境・・・。


これらのブログの意図は何だろう?
わからないが、私は検索結果を見て思った。

「こりゃ、ググるの馬鹿らしいな」

調べる気をなくさせる・・・。


これをステマ、ステルスマーケティングというのは、正しいのかどうかわからない。

しかし、入手されたくない情報があったとして、ガラクタな情報でも、大量に投下されると、調べる気をなくされる。木を隠すには森。スプーンを拾おうと思ったら、上から大量のスプーンを落とされたようなものだ。推測できる相手の意図は感じつつも、決定的な証拠は得られない。

ある意味、あっぱれというくらいに開き直っている。迷惑・評判・ブラックというのを、直そうという意思はなく、徹底的に隠そうという魂胆しか見えない。

まったく、なんて会社だろう・・・。
タグ:ステマ
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末法と、マヤのなんとか。 [雑談]

そういえば、ふと思い出したのだが、今年はマヤがなんとかで、世界や人類がどーにかなっちまう年ではなかったっけ?

私は数年前に、この2012年の「重大な何か」説を知った。
5年くらい前かな?いや、もう少し最近かな?

詳しくは覚えていない。

「これ、“知っている”人のあいだでは、すごく有名な話なんだよね」

と、ある人にニオワサレタ。

最初は人類が滅亡するのではないかと言われていたが、その後、滅亡ではなく進化だ、ということになり、その後、よくわからないが、「重要な出来事」が、もしかしたら私たちに気づかないところで起こるのかもしれない、となった気がするが、私は話についていけていない。

もし仮に、人類が滅亡するのだとしたら、こんなに一生懸命になって世界中の有力者たちが選挙を行わないだろうから、やはり滅亡はないのだろう。

日本でも末法思想が流行ったとき、貴族たちは競って寺や仏像を飾り立てて極楽浄土を願ったという。本気で金で死後の幸せを買えると思っていたのか、それともそれくらいしなければ安心できないほどの後ろめたい悪事に手を染めていたのか、理由はわからない。

いずれにせよ、死の間際に慌てふためいたり、自分の人生を猛烈に後悔したりするような人生は送りたくないものだ。人生に満足するのは無理だとしても、「ああ、やり残したことは山ほどあるが・・・まぁ、仕方ねーか」と思えるくらいにはなりたい。
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置かれた場所で、遅咲きのヒマワリを・・・ [雑談]

自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。
~ ラ・ロシュフコー
ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

  • 作者: ラ・ロシュフコー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/12/18
  • メディア: 文庫



新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓

新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓

  • 作者: ラ・ロシュフコー
  • 出版社/メーカー: 日本能率協会マネジメントセンター
  • 発売日: 2011/12/24
  • メディア: 単行本


このところ、私はテレビドラマを見ることが多くなった。

そこで気がついたことがある。

最近評判のよろしくないフジテレビだが、どうやら今クールのテーマは「人との繋がり」的なものであると感じた。

有形ではなく無形のもの。

例えばキムタクの月9ドラマ、プライスレス。タイトルどおり、お金とは別の価値をテーマにしている。

初回しか見ていないが、阿部寛さんや山口智子さんの出ている、ゴーイング マイホーム。おそらく、これは家族がテーマだろう。

そして、ゴーイングマイホームと同日にやっている「遅咲きのヒマワリ」 。 生田斗真さん、真木よう子さんのドラマで、“自分探し”的な匂いのするドラマである。


この「遅咲きのヒマワリ」を、昨日見た。
実は、昨日で3話目なのだが、全て見ている。
正直、初回を見たときは、悪くはないが続けて見ないだろうと思っていた。

あらすじが私のあまり好きではない方向性だったからだ。
主人公は東京で派遣社員として働いていたが、なかなか正社員になれない。本人は深刻に受け止めていなかったのだが、そのようなところを理由に恋人に愛想を尽かされ、また実家に戻っても家族の微妙な反応に居心地悪さを感じる。貯金もなくなったことから、偶然見つけた「四万十市役所臨時職員」の職に飛びつき、四国に渡る。

田舎の村の人々とのつながり、またタイトルが示すように、いつか花を咲かせる的な自分探し的要素。

あまり好きな傾向ではないのだが、四万十の美しい風景に心を癒されながら、結局は見続けている。

ここに登場する、主人公と同世代の若者たちは、医者だったり、地元の有力者の娘だったり、かつて球児として活躍した青年だったり、様々な立場にある。しかし、誰も皆、今に不安や悩みを抱えている。

私がこのドラマを見てしまう理由の1つに、やはり私も同じなのだと、感じるところがあるからなのかもしれない。


彼らより年は上の私だが(いくつくらい上かは、伏せておこう)、今に十分満足しているのかと言われれば、途端に足元がぐらつく。

もちろん、幸せはある。
大きな不満はない。

しかし、本当に生きたかった人生を歩んでいるのかと言われると、簡単に首肯できるものでもない。

迷いはある。
迷っていることに気がついていない、いや、あるいは気がつかないふりを、しているだけで。


だから、例えば以下のような本のタイトルが、頭にこびりついて離れない。

置かれた場所で咲きなさい


置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

  • 作者: 渡辺 和子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/04/25
  • メディア: 単行本


読んでいない。
読む予定もない。

しかし、いい言葉だと思う。

置かれた場所で咲きなさい、か。

読んでいないのだが、その言葉の意味を噛みしめる。
考えてみる。

幸せは外で見つけるものではない。
内にあるものなのだろう。

ラ・ロシュフコーも、こう言っている。

自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。

だが、迷い迷いながら前に進むのである。

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日本の寺社の金儲け事情 [雑談]


私は、警察官は正義の味方ではない、と思っている。
警察官は公務員であり、彼らが守るのは国の定める正義。つまり、国の定める決め事の味方なわけだ。

では正義はどこにあるのか?

そこで私は言う。
「正義は、一人ひとりの心の中にある」

カッコつけて言っているわけではない。半ば、諦めをもって陰鬱な気持ちのなかで言っているのだ。個々人の中にる正義とは、頼りなく、不確かで、脆く弱い存在である。


寄る辺なき弱者がすがるのが、信仰である。信仰とは信じることだ。そして、例えば信仰の対象が神であるとして、その神が慈愛に満ちているのかといわれると、それはわからない。

神が慈愛を持ち合わせているとは限らない。
宗教者たちもいわずもがな、である。

冒頭のリンク先にある記事では、中国の宗教施設による金儲けを批判してる。

【中国国内の聖地や寺院に広がる株式上場や商行為を同国当局が厳しく批判している。】

さすが中国、とは言えない。
日本でも似たようなものだ。

宗教施設が金儲けをしていいのか?
難しい問題だ。

気持ちとしては、金儲けに走る宗教というのはあまり好きになれない。
お寺や神社のあからさまな金儲けは私たち一般人を“うんざり”とした気持ちにさせる。だが、そういったケースは結構多いのだ。

神社もお寺も、生活のためにお金がいる。
それは理解できる。
神社もお寺も、宗教というよりは、今や特権利権のある職業なのだから。


だから物販(お守り等)にもせいを出すし、見た目商業的なウェブサイトだって運営する。
売上に熱心なだけじゃない。生産性の向上だって着手する。

つまり、マーケティングに勤しめば、作業の合理化だってはかるのだ。


しかし、それらのやり過ぎは、私たちを非常にがっかりさせる。

勝手なイメージだが、信仰に携わる人には、志の高さを求めてしまう。自分のためでなく他人のために。強者のためでなく弱者のために。物質よりも、無形のものを。自分に厳しく、教えと真理の探求を。

全ては幻である。

さて、寺社のマーケティング活動と合理化について、私が見聞きしたケースをいくつか上げよう。

・厄除け・祈祷などを受けた人に、翌年人形(ヒトガタ)を送り、人形を使った祈祷を進める。んなもん送りつけられても処理に困るので、仕方なく支払いとともに人形を返信し、お払いをしてもらう。
・最近の卒塔婆は、手書きではなく印刷できるらしい。印刷で卒塔婆を大量にこなす坊主。
・神社の境内を切り売りし、更にマンショを立てて収入を得ようとする宮司一家。


少し前に、新宿に足を運んだ。

駅から少し離れているのだが、神社の境内に富士塚があるというので見に行ったのだ。富士塚とは江戸時代に流行した富士山信仰の1つで、ミニ富士山を作って上り、ご利益をえようというものだ。ここのは東京でも有数の高さを誇る富士塚というので、楽しみにしていた。

ところが、見ることができなかった。

工事中だったのだ。


何の工事か・・・?


なんと、高層マンションを建設するんだと。


近くには反対運動の立て看板がある。


なんでも、宮司一家が神社を維持するためのお金がないため、境内を売ったり、マンションを立てて家賃収入を得ようという考えらしい。

氏子は大反対しているが、宮司は強権を発行し、マンション建設を推し進めた。


・・・なんて話だ。

神社とは、誰のものか?
決して個人のものではない。宮司のものではないはずだ。この神社の信仰は、この宮司の敷地で始めたものでもないし、この宮司が始めたものでもない。この信仰は宮司のものでは決してない。

共同体のものなのだ。

時間軸でいえば、太古から連綿と続き、
平面的に言えば、この地域の住民みんなの信仰であり、
そこには人の思いと文化的歴史的価値と、動植物のための自然環境があったわけだ。


売却するのだとしたらキチンと公開して、氏子も含めてお金の管理をするべきだろう。

宗教が世襲になるからおかしくなるのだ。

私は境内の一部を売却、或いは家賃収入を得ること自体に反対しているのではない。
この神社は、あまりにも大きな規模でそれを行おうとしていて、神社という神聖な土地の景観を崩し、神道に必要不可欠な自然環境を奪う。まさに今、この神社はひどい有様だ。


と、部外者の私が口出しするのも変な話なので、実名は控えよう。
しかし、反対している地域の方々の気持ちを考えると深い共感を覚える。

そして非常に残念なことに、神罰は下らないのだろう。その現実に、私はとてもがっかりする。
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