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私達は進歩していることを信じよう [これから日本の話をしよう!]

世の中というのは、非常に残念なことだが、力のある人間が勝つようになっている。

そして、力に対抗するためには知恵、頭脳が必要なわけだけど、清廉潔白な賢さなんて滅多に見かけることはなく、ようはズルさが必要なのであって、ズルい奴が得をしたり、勝ったりするのが世の常だ。


先月行われた国連持続可能な開発会議、通称「リオ+20」では、環境に配慮したグリーン経済が謳われたが、いっぽうで、世界各地の先住民は、勝手極まりないこの施策に反発の声を上げた。

そりゃそうだ。人の土地を侵略し、都合のいいように使おうとし、何が持続可能な開発だ。


正義が勝つ、というのが本当だったとしたら、こうまで白人が世界を席巻することはなかっただろう。何が“アメリカ大陸発見”だ。以前からそこにあって、人々は普通に暮していたわ。


日本も人のことは言えない・・・かもしれない。
騙し、付け入り、仲間われをさせ、裏切らせ、東へ北へと勢力を拡大させたのは、我々のご先祖さまだ(もしかしたら、我々は侵略された側かもしれないが・・・)。

オオクニヌシの国譲りの神話や、神武東征などを見ると、何ともいえない悲しみを感じる。

最近の例でいうと、松前藩のアイヌ仕置き(↓↓↓)じゃないだろうか?
逆説の日本史17 江戸成熟編 アイヌ民族と幕府崩壊の謎

逆説の日本史17 江戸成熟編 アイヌ民族と幕府崩壊の謎

  • 作者: 井沢 元彦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/02/14
  • メディア: 単行本



色々と考えると、今のこの時代というのも、力のある奴やずるい奴が強いことには変わりないが、それでも、やりようによっては弱いものが勝てる見込みのある、貴重な時代だと思う。

私達は、進歩している。
そう信じよう。


な、大津市さん。

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不吉な人魚伝説「八百比丘尼」 [これから日本の話をしよう!]


米国立海洋局が、「人魚は伝説上の生き物だ」という公式見解をウェブサイト上で発表したらしい。そもそもの経緯は、米ディスカバリー・チャンネルの動物専門チャンネル「アニマルプラネット」で、人魚は実在するという説に基づいた番組を放映した結果、海洋局のもとに多数の問い合わせが届いたことにあるという。

赤い蝋燭と人魚

赤い蝋燭と人魚

  • 作者: 小川 未明
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 単行本


「夢がない・・・なんて興ざめすることをするのだ」と思う一方で、本気で信じてしまうような人がいて、それによって家庭や子どもを投げ打って人魚探しに繰り出すお父さんが現われて家庭が崩壊したり、人魚にあこがれるあまりニートになってしまう等の問題が起こっているのかもしれない。
が、正直どうでもいい話だ。


人魚・・・ねぇ。
記事には水生人間とも書かれている。


別の言い方をすれば、「半魚人」でしょ?極論すれば「人面魚」も範疇に入る。


人魚と半魚人・・・表記の仕方によって随分イメージが異なる。

半魚人や人面魚が存在する・・・ということになったら、一気にオドロオドロしいイメージになる。子どもは泣き叫び、周辺の小学校では一斉下校が始まるかもしれない。


敗戦を終戦、核を原子力、ミサイルを人工衛星と言い換えるような、巧みな印象操作を感じる。


何が人魚だ、それは半魚人じゃねぇか。
何がクチコミマーケティングだ、ただの噂話じゃねぇか。
何がハーフバースデーだ、ただ誕生日から半年すぎただけじゃねぇか。


ちなみに、半魚人は人魚と逆で、頭が魚で足が人間、というイメージで認識されている。
定義上、どうなのかわからないが、それにしてもどっちもどっちだ。人魚が美人とは限らないんだぜ?

ところで、人魚伝説というと、世界に共通して不吉なものとされていることが多い。
そして、マーメイドとか言っちゃうと西洋の小奇麗なイメージだが、実は日本にも古来から人魚伝説が数多く残されている。
10メートル以上もある大きな人魚を捕まえたり、あるいは人魚を漁師が殺したら天災が起こった、なんて話もある。

その中で一番有名なのは、八百比丘尼の伝説だろう。人魚の肉を喰らったがために、不老の身を手に入れてしまったという話だ。いつまでも若くていいじゃん、というハッピーエンドな話ではない。周囲の親しい人、愛する人が死んでいく中で、自分だけ年をとらずに残されていく。やがて彼女は尼になり、孤独と苦しみの中で生きていく・・・八百才の尼さんで、八百比丘尼(やおびくに)という。

呪われた、悲しく切ない物語である。

そう考えると、冒頭の「人魚は伝説上の生き物だ」というのは、実にほっとする声明だったわけだ。


ちなみに、このような、ちょっと怖い人魚伝説の話として、著名な漫画家、高橋留美子さんの作品がある。
何気にこの漫画、こわいぜぇ?

人魚の森 (少年サンデーコミックススペシャル―高橋留美子人魚シリーズ)

人魚の森 (少年サンデーコミックススペシャル―高橋留美子人魚シリーズ)

  • 作者: 高橋 留美子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/10/18
  • メディア: コミック



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七夕は何故“たなばた”と読むのか!? [これから日本の話をしよう!]

もうすぐ七夕だ。

商店街やショッピングセンターでは、七夕行事に乗っかってセールをやっている。子どもの頃は、七夕飾りで短冊に願い事を書いた。何を願ったかは覚えていないが、おそらくは欲しいものリクエストくらいの認識でいたに違いない。


七夕は、七つに夕方の夕と書いて、「たなばた」と読むわけだが、もちろん当て字である。
ちなみに、七日の夕方という意味あいもあるので「七夕」と書く、というのは一理有りだが、正しくは6日の夕方から飾り、7日の夕方に片付けることを考えると、何となくこじ付けっぽく感じる。そもそも、“七”に“夕”と書くのはいいとして、なぜ「たなばた」と読むのかがわからない。


七夕と書いて「しちせき」と読むのはとても自然だ。実は「七夕」と書いて「しちせき」と読む、節供がある。

節供には五節句というのがあり、三月三日の桃の節供や、五月五日の端午の節供がある。節供はどれも奇数が並んでいるが、これは偶然ではなく、奇数は吉数とされているからだ。
七夕の節供は、七月七日なのである。

では、なぜ「しちせき」を「たなばた」と読んだかというと、日本独特のハイブリッドさがあるためだと思う。

「たなばた」は「棚機」を指し、そもそもは「棚機津女(たなばたつめ)」の伝承から来ている。

棚機津女(たなばたつめ)とは、水辺で機屋にこもり、神衣を織りながら神(祖霊?)の訪れを待つ織女であると折口信夫は説明している。

また、平安中期くらいには織女を「たなばたつめ」と読んでいた。


七夕の、物語性や祭り的要素など表向きのものは、中国由来の要素が強いように思える。
お話、つまり物語性は中国の牽牛と織女、つまり彦星と織姫の伝説。短冊に書く願い事となると、乞巧奠(きっこうでん)の手芸や裁縫の上達を願う行事から来ている。

織姫と彦星を祭り、七夕飾りで短冊に願いを書いて、天の川を見上げる。今年は、織姫と彦星は会えるだろうか、とロマンチックに思いを馳せる・・・。


この七夕の裏には、別の要素がある。

棚機津女のように、神衣を神に捧げることで、災厄を回避したり、豊作を祈ったりする役目。おそらくこの棚機津女は、ただ織物をするだけの女性ではないはずだ。また、禊のように、災厄を七夕飾りにつけそれを流す習慣もあった。
七夕祭りの裏には、かつて人々の切なる厄災回避の願いがあった・・・のだと思う。


日本古来の棚機津女という織女の伝承、乞巧奠という7月7日に手芸裁縫の上達を願う行事、織女と牽牛の伝説、そういったものが、お盆という時期的要素を交えながら合わさっていったのが現在の七夕だ。


旧暦の7月7日は、今年は8月24日だそうだ。
・国立天文台(伝統的七夕)
・伝統的七夕ライトダウン2012推進委員会

もともとは新暦の行事ではなく、旧暦、つまり太陰太陽暦に根ざした行事であるため、今のこよみにはそぐわない。
今のカレンダー上では、七月七日は梅雨まっさかり。
本来は8月下旬あたりであり、梅雨空ではない。

空を見上げるに雨や曇りの心配は少なく、織姫様と彦星様も一安心の季節ではあるが、逆に、台風や雷雨など、強烈な水の災害を向かえる時期でもある。

七夕の日本的民俗行事の中には、水浴びや行水など、水に関するものが多い。

また実りの秋を迎える行事でもある。禁忌として、畑に入ることを禁じる地域がある。


祈りと厄払いと、祭り的要素と物語性と、色々なものが詰め込まれた七夕行事。
ただのセールスイベントで終わらすには、あまりに勿体無い。

タカ印 七夕用品 七夕笹飾り 39-1816

タカ印 七夕用品 七夕笹飾り 39-1816

  • 出版社/メーカー: ササガワ
  • メディア: おもちゃ&ホビー



たなばた (こどものとも傑作集)

たなばた (こどものとも傑作集)

  • 作者: 君島 久子
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1977/04/01
  • メディア: 単行本



折口信夫全集 第2巻 古代研究 民俗学篇1 (中公文庫 S 4-2)

折口信夫全集 第2巻 古代研究 民俗学篇1 (中公文庫 S 4-2)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1975/10/10
  • メディア: 文庫


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人生の幸せと影との戦い [これから日本の話をしよう!]

ひとは誰しも、自分のなかに影を抱えている。

妬み、嫉み、恨み、怒り、憎しみ、といった負の感情から、物欲、金銭欲、性欲といった欲望を身にまとう、もう一人の自分。

影に負けた瞬間は自分自身に負けた瞬間でもあり、その時を境に、人生が急転することもあるだろう。


晩節を汚す人も多い。経営者、政治家といったリーダー的存在から、町の普通のじいさんばあざんまで、これは高齢化が進んだためか、そういったニュースもよく目にする。また、いとも簡単に感情を爆発させる人も多い。


例えば60歳までが幸せだったとしても、61歳に不幸に落ち、そこで死んだとすると、それは幸せな人生だったといえるだろうか?
いや、年齢は関係ない。去年まで幸せだったとして、今年から不幸になったとしたら。裏切られ、誤解され、虐げられ、精神の肉体に苦痛を受け、そして死ぬ瞬間に、どう思うだろう?

幸せな人生だったと・・・
言えないだろうなぁ。

人生が幸せだったかどうかは、最後に振り返るときに思うものだから。



原発問題で我々を恐怖のどん底に陥れたのは、放射性物質を体内に蓄積してしまうかもしれないという恐怖だった。

体に悪いものが体内に入り、蓄積されてしまうと、当然体に害をなす。

病気になったりするのは非常に怖い。


しかしながら、体内に蓄積し体に害をなすのは、食品だけとは限らない。

視覚や聴覚を通して入り込んでくる情報や、知識といったものも、蓄積するうちに我々を汚染することがある。いや、外から入り込んでくるばかりとも限らない。内々で芽生え、悪い感情を制止できずに育ててしまう場合もあると思う。


そうして育ってしまった影は、やがて我々に取って代わろうと挑んでくる。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」

善悪の彼岸 (岩波文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)

  • 作者: ニーチェ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1970/04/16
  • メディア: 文庫



影が好む、負の情報は体に入れないように気をつけるべきだ。

あるいは、影が好む、負の言葉はできるだけ口に出さないべきだ。


世界に共通するたいていの物語で、影と戦う状況に追い込まれた者は、自分で影を招いてしまっている。

一線は越えないべきだ。たとえ誰も見ていなくても、仮に自分の心のうちだけだとしても。扉は閉めておくのが用心だ。


超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2010/01/12
  • メディア: 単行本



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人類を狙う、捕食者の正体 [これから日本の話をしよう!]

ちょっと気になる事件が多い。

・交際中の女性に爪はぎ強要…28歳男、再逮捕

・生活保護費の不正受給額倍増、6億円超…埼玉

・「その場のノリ」で集団暴行、少女や無職男ら11人逮捕 京都府警

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)」がベストセラーになり、芸能人のモラルを問う話題がニュースになるということは、社会的な決まりごとや道徳、良心というものが改めて注目されたということだと思う。

しかし、それにしても、世の中のモラルが前進しているようには思えない。


家庭内暴力、DV、児童虐待、不正受給問題、様々な場面で共通しているのは無責任さだ。


良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖」という本をご存知だろうか?

以前、このブログでも紹介したことがある。
・秩序は簡単に崩壊する、ほら、あちこちで。

アメリカのカウンセラーが書いた本で、簡単にいうと、世の中には“良心をもたない人”というのが、かなりの割合でいるという話だ。


ちょっと、すとーっぷ!

良心をもたないと聞いて、どんな人間をイメージしただろうか?おそらくそれは、外れてはいないが、正しくもないと思う。

良心をもたない状況を、良心をもっている人間は、想像することが難しい。

例えば、次のストーリーを読んでみてもらいたい。


「あなたは今日、大事な出張の予定がある。これがうまくいけば、出世は間違いなしだ。反対に、失敗すれば、あなたの立場はかなり悪くなる。

準備万端で空港に向かい、時間ギリギリで到着しそうだ。

そこで、あなたは大事なことを思い出した。

愛犬のエサと水の用意を忘れてきたのだ。

出張は、泊りがけだ。

犬は、いったいどれだけ飲まず食わずで平気なものか、よくわからない。

あなたは一人暮らしだ。誰かに世話を頼めればいいけれど、あいにく頼りになりそうな人物は思い浮かばない。

さあ、どうする?」


愛犬にエサと水を与えるためには、自分が戻るしか方法はない。かといって、放っておいて、犬がどうなるのか(無事かもしれない)もわからない。

以上の話は本書で出されていたもの(私のうろ覚えの記憶)で、良心のない人を考える上で、1つの参考になる。


本書では、良心のない人の特徴を次のようにあげていた。(あくまで私の主観でピックアップしている点、よろしくどうぞ)


・平気で嘘をつく。周囲の人は、彼らのことをほとんど見抜けない

・いい人を演じる。周囲から見て、魅力的な人にうつることがある。

・支配したがる。お金、物、時間、相手の行動、相手の感情、相手の人格


彼らには、普通の人々と同じで、能力の高い人もいれば能力の低い人もいる。
一国の独裁者やグローバル企業のリーダーになる人もいれば、幼稚でチンケな犯罪を繰り返してばかりの人もいる。


暴力を行使する人もいれば、暴力を行使しない人もいる。
殺人や傷害事件を起こす人もいれば、暴力は一切使わないが他人に寄生するだけの(例えば働かずに過ごしたり)人もいる。


・同僚や上司を蹴落として昇進するビジネスマン

・配偶者や家族、兄弟姉妹を支配する夫

・友人や後輩を罠にはめて傷つける人

・自分は働かず、恋人に寄生しているうえ、恋人を罵倒・中傷する

・優しい言葉をかけたり、泣いたりして許しを請うが、まったく反省していない人


彼らを見た目で判別できない。紛れ込んで、私達の日常のすぐそばにいる。


彼らは、人類にとっての捕食者だ。


彼らを見分けるのは無理だと思ったほうがいい。
見分けることができたとしても、周囲の人は信じてくれないだろう。

本書で例にだされた人々は、みな、孤独な戦いを強いられる。というか、戦う方法なんてないということがわかる。彼らの多くはやがて自滅するので、そのときまで逃げるしかない。自分を守るのは、彼らとかかわらない事だ。


では、そんな怖い人ってのは、どのくらいいるのだろうか。

なんとアメリカでは、人口の4%もいるのだそうだ。

25人に1人である。

学校でいえば、1クラスに1人だ。


この本、じつは今、定価では手に入らないと思う。
アマゾンやその他で見ても、もう中古しか流通していない。非常に残念だ。

はっきりいって、この本はお勧めだ。中古でも、値段が高騰するまえに買っておくことをお勧めする。それだけの価値のある本だ(再販されたらor流通していたらゴメン)。
(ちなみに、アマゾンでは現在、中古で3000円前後。定価の倍だなぁ)

良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

  • 作者: マーサ スタウト
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本


良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

表紙に騙されるな。鋭く、いい本だぞ!?

ちなみに、出版社提供の立ち読みはこちらだ。
・〔立ち読みコーナー〕良心をもたない人たち──25人に1人という恐怖(草思社)

さて、なぜ私がこの本をお勧めしているのかというと、冒頭の事件の話にもどる。
さいきん、日本全体で“良心の欠如”が見られるのではないか、と思うからだ。

もちろん、昭和30年代のほうが残酷な事件が多かったのは知っている。しかし、最近の事件というのは、見た目のグロテスクさとは別に、モラル、良心的なものが薄くなってしまっているように感じるのだ。

かつてあった、村社会というのは、そういう意味で言うと非常に優れたシステムだったと思う。勝手な行動ばかりをとると、村から排除されるからだ。江戸時代なども、主君押し込めというような形で、独断専行型のリーダーは、良くも悪くも動きを封じられた。
集団主義っぽくて息が詰まるが、しかし良い面もある。

本書でもイヌイットの話がでてくる。
イヌイットの集団でも、昔から“良心のない人”サイコパスがいたらしい。男達が狩にでている間、嘘をついて集落に残り、複数の女性に手を出す。そういった人間は直らないことを知っていたので、彼らはやがて抹殺されることになる。


日本国内の説話のなかに、お地蔵さんが好き勝手をする話がある。詳しく書くのもアレだが、お地蔵さんが夜な夜な不埒な事件を起こすのだ。そこで村人たちはどうしたかと言うと、こらしめるのである。ふんじばって。

米国では4%といわれるサイコパスだが、実は、日本や東アジアでは、その割合がかなり低いらしい。台湾の事例では、0.1%前後だった。著者は、文化的な要因が大きいのではないかと考える。

サイコパシーは遺伝的な要素も考えられるが、文化的な要素も大きい。個人主義、一人がちを英雄視する風潮のある欧米では、彼らは一定の割合で生き残り、紛れ込みやすい。かたや集団主義的な儒教文化圏では、彼らのような人間は排除されるか、行動を正す様に周囲の圧力がかかる。故に紛れ込みにくいし、変な行動にもでにくい。


ところが最近、である。

公助はサービス業化したお役所が処理するので、周囲の目はとどかない。個人の自由という主張により、権利ばかりを要求しやすい風潮も出来てきている。

もし、サイコパスというものが、文化的な風土によるところが大きいのであれば、いよいよ我が日本も“良心をもたない人間”大量発生の時期を迎えているのかもしれない。

90年代に行われたアメリカの調査によると、若者のなかに占めるサイコパスの割合が、15年で2倍に増えたという。

我々日本では、どうだろうか!?


アメリカでは昨年、格差デモが頻繁に開かれた。これはそういった風潮の揺り戻しかもしれない。
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夜の国のクーパーを読む③「戦うということは、そういうことだ」 [これから日本の話をしよう!]

引き続き、「夜の国のクーパー」について。今回は私なりのアプローチ、感想です。
若干、ネタバレしますのでご注意を。

夜の国のクーパー

夜の国のクーパー

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2012/05/30
  • メディア: 単行本


私の場合、伊坂さんの小説がとても好きなので、読書して普通に楽しむこと以外に、「もしかしたら、これって?」と自分なりに積極的に解釈して、想像して、妄想して楽しむようにしている。

というわけで、今回も積極的に解釈して楽しむことにした。

これは、私の妄想の読書記である。


さて、物語というものは、普段自分の頭では考えないような事、日常生活では味わえない突飛な事、楽しい状況悲しい気持ち恐ろしい現実というものを想像させてくれる。

人は寝ている間に夢を見る。
恐ろしい夢を見ることがある。あれは、実際に恐ろしい事実が起こったときのための“予行練習”なのだと、何かで読んだ覚えがある。事前に想定していれば、覚悟がしやすい。

物語にもそういった“予行練習”的な側面もあるし、また、考えるきっかけも与えてくれるわけでもある。

夜の国のクーパーは、戦争にかんする物語だった。


戦争に負けるということは、どういうことなのか-。


最近はだいぶ“空気”が変わってきたように感じるが、10年か15年くらい前までは、国防についてこんなことを言う人が少なからずいた。「日本は自衛隊も軍隊も持つ必要はない。他国が侵略してくることはあり得ないし、仮に攻め込んできたとしても、日本は平和憲法をつらぬき、いっさいの暴力を行わないべきだ。それこそが、平和憲法を世界に広めることが日本の役割であり、そして、それこそが唯一の抑止である」。

素晴らしい考え方だ。ノーガード戦法というやつで、いわば、留守にするさいも家の鍵をかけないと豪語するのに似ている。


ノーガード戦法であれば、他国の侵略は受けないものなのだろうか?
残念ながら、そうとは限らないと私は思う。ノーガード先方は、そのほかの高度でしたたかな外交戦略とセットで初めて有効なのであって、それ単独では単なる不用心なだけだ。

私たちは、戦争に負けるかもしれない。
戦争には色々な種類がある。

政治的なものだったり、文化的なものだったり、経済的なものだったり。

行使の方法も、色々な種類がある。

軍事的なものだったり、スポーツや芸能娯楽だったり、企業買収や資本参加、土地買い占めだったり。


そして、それでは、「戦争に負けるということは、どういうことなのか」?


それは、どんなことでも起こりえる、ということだ。

私たちはひどく蹂躙されるかもしれないし、洗脳されるかもしれない。
暴力を振るわれるかもしれないし、暴力は振るわれないが搾取されるかもしれない。ひどく搾取する方法もあれば、搾取されていると気づかないように搾取されることもありえる。

全ては征服者の意向次第だ。

太平洋戦争後のアメリカのやり方は上手だったと思う。
有名なものに、3S政策というものがある。
愚民政策のひとつで、大衆の関心を政治に向けさせない戦略だ。3SのSは、スクリーン、スポーツ、セックスの頭文字をとっている。エンターテイメントで愉しませて、夢中にさせて、ガス抜きもさせて、難しくて面倒なことは考えないようにしましょうよ、という弱体化政策だ。

事実で意図的なものなのかどうなのか、実際のところは、私はわからない。

しかし3S政策なるものがあって、そこに経済的な野心で乗っかる日本人がいたとしたら、これは非常にやっかいだろうなと感じる。

企業と手を組み、マクドナルドやコーラやハリウッドを輸出して、他国の文化に進出する彼の国を見ていると、さもありなん。コーポラティズムとは、国の政策に企業を乗っけるやり方だが、最近のソーシャルメディアなんかも、まさにそれでしょう。そういった風潮にのまれ、自分たちの市の名前を売ろうと考えている泉佐野市は、まさに愚の骨頂。

さて、そういった巧妙な征服もあるわけで、コーポラティズムに絡む格差問題、一極支配の弊害について書かれた最近のベストセラーに、「政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること 角川SSC新書」がある。
政府は必ず嘘をつく  アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること  角川SSC新書

政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること 角川SSC新書

  • 作者: 堤 未果
  • 出版社/メーカー: 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/02/10
  • メディア: 新書


あるいは、教育的な側面で語られたものに、「23分間の奇跡 (集英社文庫)」がある。この本は、他国に侵略された国の学校に、征服した国から若くて魅力的な女性教師がやってきてからの23分間の物語。
この短時間で女性教師は、全てを変えてしまう。タイトルに“奇跡”とあるが、感動ものではないですよ。とても恐ろしい、侵略のお話。
23分間の奇跡 (集英社文庫)

23分間の奇跡 (集英社文庫)

  • 作者: ジェームズ・クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07/20
  • メディア: 文庫


「夜の国のクーパー」でも、似たようなことが起こっている。
国民は騙され、いいように使われている。そして一部の権力者が、ずるい奴がのさばっている。そして、多くの人はそれに気づいていない。

伊坂さんの「魔王 (講談社文庫)」という小説のなかで、「権力者というのは、ずるい。みんなが気づかないうちに、自分に有利なようにルールを変えてしまう」的な事が書かれていた・・・と思う。

そう、権力者の多くはずるい。こっそりと、自分に都合よくルールを変える。征服されるということは、相手のルールに乗っからなければならないということだ。日本もそうじゃないか。自分達の国を規定する根本的なルールを、変えることができない。むしろ守ろうとしている。

征服者の意向次第で、我々はどうとでもなってしまう。


「夜の国の・・・」の登場人物、権力者の1人として、冠人という国王がでてくる。冠人と書いて、カントと読む。管直人の略か?と思ってしまうが、勘繰りすぎか。冠人は誠実で優秀な権力者かと思われていたが、実際はそうでもなかった。権力者のずるいところが、この冠人にも表れている。

国民は長らく騙され続けてきたのだ。
そして、危機は突然襲いかかってきた。

征服者の意向が変わったのだ。

征服されていた人々は、動揺し、恐れておびえ、やがて感情に流されて湧き上がり沸騰する。しかし、簡単に受け流されて主導権を取られてしまう。

果たして彼らは、無事に済むのだろうかー?


そういえば、最近面白いと思う連続ドラマで、「リーガルハイ」がある。
「リーガル・ハイ」公式BOOK 古美門研介 草創記62484-37 (ムック)

「リーガル・ハイ」公式BOOK 古美門研介 草創記62484-37 (ムック)

  • 作者: 著訳編者表示なし
  • 出版社/メーカー: 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/05/30
  • メディア: ムック


リーガル・ハイ

リーガル・ハイ

  • 作者: 古沢 良太 (脚本)
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2012/06/26
  • メディア: 単行本


とってもハイテンションで負け知らずな弁護士が早口で奇妙に立ち回るドラマで、とても面白い。
このドラマの直近の話(6/12、第9話)で、堺雅人がふんする弁護士が、「慣れ合いという文化に毒された」善良な村人たちに、こんなセリフを言う。

「戦うということと、ズワイガニ喰い放題のバスツアーとの違いがわかっていない」

村人たちは、自分達の村にできた工場のせいで、公害被害にあっているかもしれない。そこで東京の優秀な弁護士を雇い、企業と戦おうと決意した。しかし、その決意はすぐにしおれてしまう。

この公害を垂れ流している企業と、美しい村に住めなくなるという設定、もしかして原発問題と原発マネーにずぶずぶにされた地元の村問を示している?とも思えてくるのだが、どうだろう。

ともかく、すぐになぁなぁで懐柔されそうになる村人たちに対して、この弁護士はこう言う。


「土を汚され、水を汚され、土地に住めなくなるかもしれない。」

「先人たちに申し訳ないとは、子子孫孫に恥ずかしいとは思わないのですか」

「誰にも責任を取らせず、見たくないものは見ず、みんな仲良しに暮らしていけば楽でしょう」

「しかし、もし誇りある生き方を取り戻したいのなら、見たくない現実を見なければならない、深い水を負う覚悟で前に進まなければならない、戦うということはそういうことだ、愚痴なら墓場で言えばいい」

「相手に一矢報い、意気地を見せつける方法は、奪われたものと踏みにじまれた尊厳にふさわしい対価を勝ちとるだけなんだ、それ以外にないんだ」

「敗戦のどん底からこの国の最繁栄期を築きあげたあなた方なら、その魂をきっとどこかに残している・・・」



ああ、ちょっと書きすぎたか。
私たちが自分達の尊厳を取り戻すためには、戦う覚悟が必要だ。
「しかし、もし誇りある生き方を取り戻したいのなら、見たくない現実を見なければならない、深い水を負う覚悟で前に進まなければならない、戦うということはそういうことだ、愚痴なら墓場で言えばいい」


多くの場合、立ち上がらず、我々は征服される。ずるい奴らに。

さて、「夜の国の・・・」からだいぶ脱線した気もするが、この本は戦争に関する話だ。色々なものが、その中で読みとれると思う。

個人的には、この本には、日本の敗戦以外にも、東北の歴史に関するものを感じるところがある。伊坂さんが東北仙台出身のため、私が勝手に結び付けているだけかもしれないが、かつて東北はとても恵まれた土地だった。自分達の文化があり、自然とともに過ごしてきた。しかし、そこに侵略の手が伸びる。蝦夷という不吉な名前を付けられ、北へ北へと追い込まれ、歴史の経過とともに征服されていく。

鉄国、ねぇ・・・。

ともかく、「夜の国のクーパー」、色々と考えさせられた。
また近いうちに再読してみたいと思う。きっとその時は、また別の読み方で楽しめるだろう。
夜の国のクーパー

夜の国のクーパー

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2012/05/30
  • メディア: 単行本



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最小部族エルモロ、消滅の危機 [これから日本の話をしよう!]



わずか数百人しかいないというケニア最小部族エルモロ。湖の資源を頼りに生きている彼らの文化は、消滅の危機に瀕している。


我々、日本人はどうか。
1億ウン千万人の人間が消えることはないだろうが、文化の喪失はありえる。

文化防衛論 (ちくま文庫)

文化防衛論 (ちくま文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 文庫



日本人とは、何か。

日本の国籍を持っている人?

これぞ日本人、というものは何か。

そういう人は、いるのか。


話は変わるが、かつては縄文時と弥生人や、あるいは蝦夷や隼人などもあったわけだけど、日本国内にも、そういった独自の文化があり、しかし消えてしまったものも多くあると思う。

記録が残されるようになって以降、さらに以前の記録を消して統合してつくられたのが記紀だけれど、それ以前の記録に残らなかった文化、あるいは消されてしまった文化は、きっとあったはずだ。


しかし、今は、日本人。

この文化は消したくない。
タグ:文化防衛論
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魔女狩りと、てるてる坊主。 [これから日本の話をしよう!]


これから日本は、雨の季節になる。

鬱陶しい季節だ。ジメジメするし、外に出にくいのでストレスがたまる。

子どものとき、晴れてほしくて作っていたのが、てるてる坊主。


よく吊るした。


ところで、逆に、雨が降らない場合はどうするか。

てるてる坊主を逆さにする?


このように、自然による災害、例えば豪雨や川の氾濫をとめたい、あるいは日照り続きで雨がふらない、そのような時。

人がすがるのは、超自然の力だったりする。
しかし、それは簡単には手に入らない。それなりの代償を払わなければならなかったりする。

例えば、そう、人身御供、人柱など・・・。


そういえば、吊るされたテルテル坊主って、何かに似ていないかい?

奇妙な果実って、ご存知だろうか?

アメリカの人種差別を告発する歌だ。

奇妙な果実

奇妙な果実

  • アーティスト: ビリー・ホリデイ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: CD



奇妙な果実って、なんだ?


それは、木から吊るされた、黒人の死体のことだ。

リンチをして、首を縛り、木から吊るして、火をつけて燃やす。


「人のすることじゃねぇっ!」と言いたいところだが、こんなことをするのは人くらいなもので、百舌でもそうは及ばない。

この歌がかかれた経緯は、ユダヤ人教師のエイベル・ミーアポルが、この事件の新聞記事を見たことをきっかけとする。
1930年のことで、そんなに遠い昔のことじゃない。なのに、当時のアメリカでは、黒人の虐殺が日常茶飯事だったのだ。



てるてる坊主って・・・。



話は変わるが、歌と悲劇で思い出した。



日本の神さまの特徴の1つに、怨霊が鎮められて神になる、というパターンがある。天神様はその1つの好例。政治的理由により排斥された菅原道真の怨念が生み出している。

その天神様が登場する童謡「とおりゃんせ」には、どのような意味がこめられているのだろう?

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
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私たちが守るべき真実のアテナ [これから日本の話をしよう!]

今朝、早くに目が覚めてしまい、なんとなくボケ~っとテレビを見ていたら、テレビアニメが流れ始めた。昔やっていたマンガの新バージョンらしい。

実は昔のバージョンのものについても、私はあまりよく知らないのだが、以前の知識と今回見たところの情報を総動員させて考えてみるに、今回の新バージョンのストーリーは、こんな感じになっている。

・主人公達は、アテナという女性を守るべき戦士である。

・主人公は一人前の戦士になるべく、戦士を養成する学校のようなところ(以下、学園とする)にいる。

・アテナ達の対として、闇の力をもつ巨大な敵の一団が存在している。

・アテナを守るべき学園は、実は知らぬうちに敵の手のうちに落ちていた。

・学園長(?)が裏切り、敵方についていたためだ。

・敵方は、ある少女を偽のアテナとして、その座につかせている。

(上記は間違いもあるだろうが、多少のところはスル―してほしい)

聖闘士星矢Ω 1 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
  • メディア: Blu-ray


自分達の一団のトップが、陰謀によりすり替えられる。これは現実の世界でも、歴史でも、よく見られる構図ではないか?

このアニメのなかで何が一番不幸かというと、本来アテナを守るための戦士たちが、その反対方向のベクトルに動かされているところだ。アテナの敵と戦うべき存在が、敵の利となってしまっている。


節分の、「鬼は外」の鬼、桃太郎に退治される鬼。河童やダイダラボッチなどの妖怪。
それらは、古代の大和朝廷に負けた側を指しているのではないか、という説がある。

勝てば官軍、負ければ何とやら。


大和朝廷の一族は、天孫降臨したと言われている。九州に、天孫(ニニギノミコト。アマテラスの孫)が降臨した。

文字通り、空から降ってきた?
おそらく違うだろう。普通に考えれば海の向こうからやって来たのだろうが、本当のところはよくわからない。彼らは「東に都をつくる、いい土地があるよ」と聞いて、勢力を東に伸ばす。神武東征だ。海路陸路で近畿地方に向かい、あちこちで地場勢力と戦う。

そこには土蜘蛛とよばれる一団や、ナガスネヒコ(長い脛)などが出てくるが、これは鬼や妖怪の原型かもしれない。


征服するものがいれば、征服されるものがいる。

我々は征服された側の末裔かもしれない。


征服する側は、どうだったのか。
海の向こうから来たのだとしたら、もともとのご出身は外国なのだろうか。
よくわからない。

ひとつの説には、征服する側にも、3つほどの勢力があったのではないかというものがある。
出雲の勢力、アマテラスの勢力、そしてもう1つの勢力。
前者の2つは追い出され、最後の1つが残った。
アマテラスはそもそもの元にある神だが、今の地、伊勢神宮に落ち着くまでに点々とされ、ようやく落ち着いた地は、都から遠方、当時からしてみれば未開の地に等しい場所だった。
日本の古代を記している記紀は、最後の1つの勢力の手によるものである・・・という説であり、真偽を知るすべはないものの、そういうことは十分にあり得ると思う。


日本各地の神社には、不自然なものが随分と多い。

本来祀っていた神が境内の隅に追いやられ、後から来た神が本殿に位置する。もともとの神が、客人神や門客人神などとされるケースも見られる。


はたして私たちは、征服されたのだろうか。


私たちに残る血の糸を辿っていくと、ひょっとしたら、私たちは私たちのボスを討ち取られ、服従を余儀なくされ、祖先崇拝も表だっては許されず、神社には注連縄と鳥居による結界がしかれた。征服者への服従の証しとして、服従を受け入れなかった者たちに豆をまかざるをえなかった。支配された一族の恨みは、隠語として風習や童謡のなかに隠したが、しかし今となってはその意味までは伝わっていない。

私たちはすっかりそのことを忘れてしまっている・・・のかもしれない。


なんていうのは検証のしようもないが、そういうこともあるのかもしれない。

そんなことを、朝のアニメを見て考えてしまった。


鬼の日本史 上―福は内、鬼は外

鬼の日本史 上―福は内、鬼は外

  • 作者: 沢 史生
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 1990/06
  • メディア: ハードカバー


鬼の日本史 下―福は内、鬼は外

鬼の日本史 下―福は内、鬼は外

  • 作者: 沢 史生
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 単行本


これに似たようなことは、現在も色々な場所で繰り返されていると思う。チベットもそうかもしれないし、シリアだってそうかもしれない。
60年前の敗戦後、私たちは占領下で3S政策などにより、骨抜きにされたと言う話もあるが、それも似たようなものかもしれない。

また事の真相はわからないが、昨年からフジテレビや花王について騒がれている某隣国に関連した非難も、これまでの例に類した事件が進行しつつあると捕らえられたがゆえのことかもしれない。


このような問題について考えるうえで、秀逸な小説がある。
とても短い本だが、1冊持っていて損はない。

23分間の奇跡 (集英社文庫)

23分間の奇跡 (集英社文庫)

  • 作者: ジェームズ・クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07/20
  • メディア: 文庫



私たちが守るべき、本当のアテナは、何だ。


上の方でダラダラと書いたが、古代のことは最早わからない。


今、生きているのは私たちだ。


私たちにとって、守るべきものは何か。


「そうさ夢だけは、誰も奪えない心の翼だから」という歌とともに始まるアニメを見て、そんなことを考えた朝でした。

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無遠慮 [これから日本の話をしよう!]

口論のすえに刃物で刺した事件の容疑者が捕まった。この事件は駅のエスカレーターでぶつかったことを発端だった。


世の中、イライラが蔓延している。


駅や混みあった場所を歩いていて感じることがある。
スマートフォンを見ながら歩いている人や、イヤフォンをつけている人の多くは、正直、邪魔だ。

人間はマルチタスクが苦手だというのは本当だと思う。人は一度に複数のことをやるより、1つのことに集中したほうが高いパフォーマンスが発揮できる。視覚や聴覚が他に気をとられていると、周囲の状況にうとくなるし、歩きがおろそかになる。人ごみでは尚更で、恐らく本人たちが思っている以上に、人の流れに乗れていない。



世の中、イラッと来ることが多い。自戒もこめて、この件について考えてみよう。

七つの習慣という超世界的ベストセラーがある。

7つの習慣―成功には原則があった!

7つの習慣―成功には原則があった!

  • 作者: スティーブン・R. コヴィー
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本


7つの習慣―成功には原則があった!

この本のなかに、こんなエピソードがある。

著者のコビー博士の体験だ。



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ある日、地下鉄に乗っているときのことだ。

車内はとても静かだった。

その静寂が破られたのは、父親とおぼしき1人の男性と、その子供達が乗り込んできてからだった。

子供達は大声を出したり暴れたりと大騒ぎ、一瞬にして車内は騒々しくなった。

父親はと言うと、座席に座り、目を閉じているだけで、注意しようともしない。

コビー博士は次第にイライラがつのった。
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これはよく見かける光景だ。

コビー博士のように、電車内でも、あるいはファミリーレストランなどでも、道端でもショッピングセンターでも見かける。


騒ぐ子供達と、放置する親、という構図だ。さて、コビー博士はどんな行動をとったのか。


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コビー博士は我慢できなくなり、子供達を注意しようともしない父親に言った。

「あなたの子供達が騒いでいて、みんな迷惑していますよ。なぜ注意しないんですか?」

すると、父親は目を開け、まるで初めて周囲の様子に気がついた様子で、こういった。

「ああ、そうですね、なんとかしないと・・・。
 
 実はたった今、病院から出てきたところなんです。

 一時間ほど前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから、すみません。

 いったいどうすればいいか・・・あの子たちも混乱しているようで・・・」
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以上の話は、パラダイム転換の話として紹介されている。パラダイム転換(変換?)は、ものの見方や考え方が大きく変わることをさしている。興味のある人は読んでみるといい。

7つの習慣―成功には原則があった!

さて、私達は相手を気遣うということが、苦手になっている。

朝の満員電車で足を踏まれた。カバンがぶつかった。肩が触れた。

そんな時。

「何か理由があるのかな?
「きっと、忙しくて大変なんだろうな」
「ムシャクシャすることでもあったのかな?」

な~んて思う余裕なんて、まったくない。


最近、ある高額所得の芸能人の母親が、生活保護費を不正受給していたのではないかとのニュースを見かけた。

事の真相はわからない。そして私はこの件について深くはしらない。が、きっとこの親が言うだろうことは、想像できる。「息子に迷惑をかけたくなかった」。この芸能人の親はそんなことは言っていないかもしれない。しかし、このようなことを言っている人を身近で見たことがある。家族には迷惑をかけられない。


この言葉は、かつては、こういう使われ方もしていたはずだ。

「世間様に迷惑をかけちゃいけない」


少し前にこのブログでも紹介したが、村八分と言う言葉がある。地域の生活における共同行為のうち、2つ分を除いて8つ分をはじくので、村八分。

はじかれるのは、
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行。

はじかれないのは、共同体に影響のある2つ。
葬式、火事。


日本の昔は、セーフティーは地域の共同体だった。生活が厳しくなれば、周囲の人々に頼らざるを得なかった。ところが今は、地縁なんてほとんどない。助けてくれるのは国、自治体。顔の見えない人たちが、制度として、事務作業的に、助けてくれる。

必要な人に救いの手が伸びないという矛盾も生じているようだが、その反対に、不必要に制度を“活用”する輩もでている。個の時代とは、こういうことなのだろうか。


縁がなければ、無遠慮になる。

縁が遠くなって、慮る(おもんばかる・・・思い巡らす)ことが無くなる、ということだ。


満員電車でもエスカレーターでも、社会のセーフティーでも、根っこは同じであるように見える。
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